プロフィール

吉田山(よしだやま)
散歩詩人
富山生まれアルプス育ち。都市が持つ複雑なストラクチャーを内面化し、表現へと結びつける。2018年に「同路上性」をテーマに掲げるギャラリー&ショップFL田SHを立ち上げ、展示の企画と運営、コンセプト管理をおこなう。また、パフォーマンスコレクティブのKCN (kitchen) のメンバーとしても活動している。

近年の主な活動に、
アートフェア「DELTA Experiment」 (FL田SHとして出展、2020)
「芸術競技」 キュレーション (FL田SH、2020)
アートプロジェクト「インストールメンツ」企画 (投函形式の展示、2020)
アートフェア「EASTEAST_Tokyo」 (FL田SHとして出展、2020)
「RISO IS IT」 (渋谷PARCO OIL by 美術手帖、2020)
KCN企画「台所革命 January revolution」(Gallery X、2020)
「大地の芸術祭2018」(新潟、2018) 等。

インタビュアー

冬木 遼太郎 Ryotaro Fuyuki _ アーティストhttps://ryotarofuyuki.tumblr.com/

山本 正大 Masahiro Yamamoto _ アートディレクター




1.

冬木(以下、冬)この前のアートフェアのデルタ※1でしたっけ?あの時のギャラリストの方たちによるトークを山本と2人で聞きに行ってたんですけど、彼が「なんか一人全然違うギャラリストがいる」って言い出しまして。割と皆さん真面目というか、ギャラリスト然としているというか。そんな感じだなあと思いながら聞いていたんですけど、後列の吉田さんに話が回った時に「この人なんか違うぞ」って僕も思って(笑)。大学が同じということもあって、LEE SAYAの李さん※2は以前から知り合いだったんで、僕たちはそれで見に行ってたんですけど。

吉田山(以下、吉)そうだったんですね。

「なぜかあの人が気になってる」って山本が言っていて、じゃあ今回ちょっと話に行かせてもらおうと。そしたら、川良さん※3も知り合いだったから、お願いして繋いでもらってっていうのが流れかな?

山本(以下、山)そうだね。

わかりました。そうですね…僕ともう一人でやってた「FL田SH(フレッシュ)」※4っていうスペースを始めたきっかけは、間借りで割と安めに場所を借りれるってことになって。それで、借りれるけど何をするかは決まってなかったんですよ。よく考えたら毎月お金を払うだけで使わないかもしれない、みたいなところから始まり、でもギャラリーの内装とかをつくることはできたんで、ギャラリーみたいにしてショップもくっつけるか、みたいな話になって。その時に、例えばオルタナティブスペースだったりアーティストランスペースという言い回しで本流から逃げるというか、様式を避けるような仕組みを自分たちで作らないでおこうと思っていました。できるだけ挑戦的にギャラリーとしての構えも持ってちゃんとやっていこうという話になり、PR活動や展示を作るときはフォーマルに則っていくことは意識的にやってました。でも、個人的な内情としては別にギャラリストになる気はない、みたいな。

一同 (笑)

それはまあ周りの人たちにも言ってるんですけど。もともと僕自身が、アーティストのアシスタントとかをやっていたりして。

そうなんですね。

今でいう「目」※5っていう作家さんだったりとか川俣正さん※6の、結構ガテン系のアシスタントをやってたんで。

じゃあ増井さん※7ともお知り合いで?

知ってます。

僕も何年か前に京都造形大※8で増井さんと一緒に先生してたんですよ。

そうだったんですね。増井さんには一時期よくお世話になりました。その流れで色々な技術はついたんで、僕自身でいろんな作家の設営やプロジェクトに関わったり、マネージメントや単純に手伝いみたいなことをやってて。で、ふと思ったんですよ、「あれ?なんか周り年上ばっかりだな」みたいな(笑)。

その今まで一緒にやっていた人たちがですか?

そうですね、一回り上だったり。あとはまあ同世代っていっても美術の施工者ばっかりで、すごく世界や話題が狭くなっていっている感じがして。そのような知り合いはたくさんいて、年上世代の人のプロジェクトの手伝いをやっている中で、本当はもっと同世代と一緒にプロジェクトをやりたいなっていうのも何となく念頭にあった時に、場所をやることでそれがひとつクリアになっていった感じです。逆にこのようなインテペンデントな場所に年上の人は呼びにくいから、同世代と一緒に何か作っていくことができるなと。それでギャラリーというかスペースを始めて、2年くらい経ってきたら何となく認知されだして。場所自体はもう無くなっちゃったんですけど、そのタイミングで「デルタ」のようなアートフェアが東京であったんですよ。ちょうどさっき僕らが待ち合わせをしていた場所で偶然出会ったサイドコア※9の人とかが立ち上げた「EASTEAST_Tokyo (イーストイースト・トーキョー)」※10っていう不思議なアートフェアに呼ばれたんです。おそらく僕らは数合わせ的というか、飛び道具的な感じで呼ばれたんですけど(笑)。で、呼ばれて出したらデルタもかなり影響を受けたみたいで。あの、ホームページの形式がぱっと見、一緒なんですよ。だから「あ、僕らはイーストイーストに呼ばれたから、デルタに呼ばれたんだな」みたいな感覚が個人的にはありました。だからトークショーの時も、誰かが嫌な思いをすることでないなら何でも言っていいかな、みたいな気持ちがあったから、「僕は背負ってるもの別にないんで」とか言って。

言ってましたね(笑)。

『EASTEAST_Tokyo』展でのFL田SHブース展示風景(撮影:田川優太郎)

あと、僕の信念というと大袈裟なんですけど、肩書きに縛られたくないというのがあって。例えばギャラリストだったらこうなっていくみたいな形式的なルートがあると思うんですけど、それをできるだけズラし続けたいみたいな。肩書きの輪郭を不透明な状態にしていくことで、なんか自分が常に旅をするというか、ロードムービー的な次に何が起こるかわからない状態をつくり出していきたいなと思っていて。そうして色々やってたら、今回ANB Tokyo※11の山峰さん※12にも声かけていただいて、一緒にやりますかという感じになって。

ちょっと話がズレるかもしれないんですけど、この前に関西に来られてた時の兵庫の芸術祭※13はどういう流れで?

あれはAokid君と橋本匠ちゃん※14っていう2人のパフォーマーが個人的にすごく好きで、仲良くしてるんですけど、その2人から「豊岡演劇祭※15に出るんですけど、第三者を立てないと出演できないみたいなんです」って言われて。Aokid君はインデペンデントな企画を沢山やっているんですけど、これは結構オフィシャルな企画だったんで、コロナの対策等をかなりしっかりやらなくちゃいけないってことで、そのためには制作っていうポジションの人が必要らしいんですよ。パフォーマー2人だけだと色々と怖いと(笑)。それで、舞台には出ない裏方専門の人を探さなきゃいけなくて、「とりあえず居てくれるだけでもいいから」みたいな感じで僕に連絡が来たんです。僕はマネージメントとかも経験してるんで、「どこまでできるかわかんないけど、行きます」と返事して。あとは少し作品にも口出していいかとか、一緒に作っていく状況になったら面白いですね、とか言い合いながら行きました。

じゃあ、そういうかたちで声をかけられて、色んなところに行ければというか。

そうですね。僕の中で仕事というのが、仲良くなるための媒体みたいな。だから、仲良くなりたくない人の仕事は基本的にやらないっていう。まあ1回目から嫌だなっていうのは想定できないんですけど、実際にやってみて、ちょっとこれは…ってなったら考えますね。例えばAokid君や匠ちゃんだったら、今回は手伝ったけれど、逆に僕が企画するときも彼らを呼びやすくなりますし、そういう感じで連携していければ作品やもっと色々なことについても喋りやすいというか。自分の体はひとつしかないんで軸足を芸術には置くんですけど、常にどこに自分っていう駒を動かすか、という感覚ですね。それと、やるからにはギャラリーとしてもちゃんとセールスしたい、それぞれのアーティストの展示をしっかり作っていきたいみたいな気持ちはあります。でも以前に友達に、まさかギャラリストになるとは思わなかったって言われて、自分でも「その気持ちわかる」って(笑)。その時に、これまで自分をギャラリストだと思ったことはなかったと気づいて、でもギャラリストに見られ始めたんだって。思ってもなかったところから、ギャラリストっていう肩書きが飛んできてビックリしたんですけど、「そっか、そういう風に見られるんだな」ということで、尚更そこはしっかりやろうと。

山本君もちょっと近いところはあるんじゃない?

僕もめちゃくちゃ親近感あります。さっきインタビューを録る前に吉田さんに僕がやってることは少しお伝えしてたんですけど、自分が何者でもないからできることってあるなっていうのはすごい思ってて。一応肩書きは、アートディレクターやアートコーディネーター、プロデューサーとか名乗ってるんですけど。

吉田さんも肩書きは色々…

肩書きはその都度、求められてる感じで。でも何も要求がないときは最近、散歩詩人って言ってて…

散歩詩人って、何ですか(笑)?

肩書きって普通は仕事を取るためにつけると思うんですけど、僕の中ではなんかもう、一個の遊びみたいな感じなんです。ルーティーンというか、アシスタントだったりいろんな蓄積があって、肩書きどうこうっていうよりはありがたいことに様々な仕事が来るんです。僕が今度こういう仕事をしたいという希望はあまりなくって、むしろ今以上にそこまで忙しくしたくないなって思ってるんで。なんていうか、仕事が絶対こないような肩書きを..

(爆笑)

絶対に仕事はこないけど、それでももし散歩詩人っていう肩書きで来た仕事は絶対おもしろいなっていう。絶対楽しいやつだと思うし、それをくぐり抜けて声をかけてきた人に出会いたいっていうのもあります。ただ、まだ僕も散歩詩人が何なのか全然わかってないんで、まずは僕の中で散歩詩人が何をするの人なのか考えなくちゃいけないんですけど(笑)。

2.

吉田さんのされていることは、山本と少し近しい部分もある気がするんですけど、そういった”あいだ”のことをやるという人って実は少ないっていうのもあったりするんですかね? 例えばアーティストのサポートや誰かの手伝いというか。ギャラリーも自分からの発端ではあるけど、誰かを発信する側面もあるし。

そうですね、何かを持ち上げるみたいなところはありますよね。結構その、東京でもたまに言われてるのが、アーティストがめちゃくちゃ多いっていう。で、それって日本の教育機関のアーティスト至上主義みたいなものが確実にそうさせていて。まあ映画なんかもそうなんですけど、舞台やダンスの仕事とかを手伝ったりしていて思うのが、携わってる各人が各プロフェッショナルに向かっていくっていうのが、もう全部パラレルじゃないですか。カメラマンになりたい人だったら、カメラマンを目指す。カメラマンの人が実は監督になりたいとか、別にそういうヒエラルキーはない。でもファインアートというかこの業界だと、「実はみんなアーティストになりたいんでしょ」みたいな認識を、暗に学校や上下関係の中から渡され続けるっていうか。

最初からアーティストではない職業を目指してる人はいないだろって、体制の側が言ってくる感じですね。以前はキュレーター学科みたいなものも、ほとんどなかったですしね。

今となってはちょっとずつ研究室は増えてたり、マネージメントの学科も藝大にあったりしますけど、どう考えても割合的には一割にも満たないんで。それはやっぱりなんだろう、もっといろんなものがあっていい気がしますね。さっきの豊岡の話でも、演劇関係の大学が新しくできるみたいで、それに関係して演劇祭をやって街ごと盛り上げようみたいな流れらしいです。

平田オリザ※15さんが学長をされるとか、そういう話が出てるとこですよね。

そうですそうです。確かそこにもマネージメントとかを教える学部ができるらしいです。そういうのがもっとあればとは思いながら、でも一方でそういったことをやりたい人は多分まだそんなにいないとも思うんで。ギャラリストになりたいみたいな話はあんまり聞かないですし。もちろん目立つのは面白いからいいんですけど、教育の中で「目立ってなんぼ」みたいな学びの受け方をしてしまって、それでこぼれ落ちていく人がただ単にどんどん増えていくみたいな状況は…本当はいろんなかたちがあるんですよ。でも西洋中心主義的な何かを中心にすると、そこに行かなければいけないっていうか、自分の場所が外野だと思ってしまう。そこに行かないと幸せになれないようなカルマを背負っていくみたいな。けど、それを背負わせているのは日本の芸術にまつわる教育や社会構造っていうか。

わかります。仰ってるように、大筋の美術や大きな業界にさっき言った西洋美術が目指すものとしてある中で、じゃあ日本って世界的に見たらどの立場でどういう発言ができるかって考えたら、言える人って片手で数えるくらいしか実際いないっていう。で、美大とかで教えてくれる大きな世界が先行して存在はしているが、僕らや知っている周りの人たち、色んなアーティストたちのやりたい目標が、それによって決められるのは腹が立つじゃないですか。だったら違う道自体を作った方が早いなと僕は考えているんで。そういう部分ですよね。

そうですね。そもそも考えているのは、幸せかつ挑戦したいみたいな2つの願望を、いつでもこねくりながらどうやって両立できるんだろうっていうか。完全に今に止まっちゃって幸せだということもできるんですけど、それと挑戦を組み合わせながらやっていくことは可能なのかとか考えながら行動したり。スペースを始める時も、ちょうどその半年前くらいに結婚して。

ご結婚されてるんですね。

あ、でももう離婚したんですよ…世に言うコロナ離婚です…(笑)。結婚した時の話ですが、結婚したら守りに入るというか、一気に閉じる人が多いじゃないですか。でも、僕は逆にこれはチャンスだと思って、「開こう!」ということで、場所を作ったという一面もあるんです。「開かれた作品」※16っていうタイトルの本があるんですけど、それがすごく好きで。簡単に言うと、作品の中にいかに鑑賞者が関わる余地があるかであったり、余裕というかバッファがある作品とか、これってどういう意味なんだろうって考えこむ余地があるみたいなものを総称して「開かれている」っていうふうに著者のウンベルト・エーコ※16って人が言ってるんですけど。じゃあ、自分自身の人生にもその開かれた乱数みたいなのを実装していければ、益々楽しく且つ挑戦的にいけるんじゃないかって。なので、スペースを運営することや展覧会をキュレーションすることも、僕にとっては大枠ではアート活動というか表現活動というか…。そういった色々な選択自体も、アート活動というのが自分の中ではしっくりきています。

なんというか、不思議だなあと思ったのが、スペースを持ってると段々そこに固執していく人って、結構多い気はするんですよ。場所を管理しないといけないとかマネタイズしていくとか、その場所に関連した先々の予定が詰まっているかみたいなことを考えていったりとか。でも吉田さん、そんな感じは全くないですね(笑)。

ええと、なんて言うんですかね、スペースだけで終わらないようにしようとは思っています。スペースだけで考えたらとんでもなく大変なので、他のアート活動と組み合わせて三位一体というか。僕の中でまず何かしらの循環が起きるようにする感覚ですね。自分のアートスペースはもう自分の内蔵だと思って、この臓器に資本というか機能のようなものはとりあえず存在しないみたいな(笑)。もう自分が常に介護しなきゃコイツ(FL田SH)は成長しないみたいな意識でやってたら、ようやく2年経って最近成長し始めてきて。で、なんかいい動きになってきたな、と思ってたら一旦その場所は無くなったんで。

FL田SHのスペース内(撮影:松尾宇人 展示は、金田金太郎 + 時吉あきな 『Imaginary Taxidermy』)

それは期限みたいなものでですか?

ビルの建て壊しが決まってですね。もともと定期借家契約で1年更新だったんですけど、次の更新がなくなりました。で、もともといつか取り壊されるっていうのは聞いていたので、「あ、ちょうど2年だった。やった!」と思いながら。

その時はどちらもあったんですか? まだこのスペースを続けたかったっていうのと、もう1ついま「やった」って言ったような..

続けたいって思いながらも、その場所の仕組みがちょっと不安定だったりはしたんです。間借りしてるという制約上、どんどんスペース運営へのモチベーションが上がっていくことにスペースのキャパが合わなくなってくるというか。僕、こういう話をする時に、ミニ四駆※17の話に例えるんですけど、大体ミニ四駆って主人公の能力が上回って、マシンがもう付いていけないみたいになるじゃなですか。で、次の新しいマシンを博士からもらうみたいな、その感覚というか。素朴に言えばスペースに飽きちゃったっていうのもあるんですけど、この場所自体のスペックがちょっともう厳しいな、みたいな。本当はもっとこうしたいのに、みたいなことを毎回思いながらやっていくことの難しさだったり、場所自体の使いにくさだったりっていうのがあって。随分と勝手に使わせてもらってはいたんですけど、間借りなんで別の方の荷物もあってそれを守る必要もあり、いざ本当に勝手には使えないっていうジレンマはありました。アーティストに鍵だけ渡して搬入や在廊しといていいですよっていうのも出来なかったりして。だから本当はもっとフレキシブルにやりたいみたいな気持ちはあったんです。

さっき言ってたように自分の体はひとつだし、もっと別の場所でやりたいこともあったりして。

そうです。それはそれで良い2年間だったんですけど、やっぱり企画があると基本的にはそこにずっと居なきゃいけなくなるんです。前提として、スペースを始める前のアシスタントや頼まれた仕事を結構やっていた時は、地方に飛んだり、たまに海外に行ったりみたいなことで気を紛らわせてたというか。そういうたまにある旅というか出張の開放感で、僕の人生が保たれていたというか。「お金も全然ないけど、人の金で旅行に行ける」っていう考え方でやっていってたんですけど、29歳になるぐらいに、「これだと一生適当な旅人風情だな」って思いはじめて。そこから結婚もしたし、久々に家も借りた状態になって。それで、この東京に根を下ろしてみようと…。ミニマムミュージックみたいに、”タッタッタッタッ”みたいな状態で小さく反復を繰り返す、小さい反復だけど東京っていう同じ場所でそれを繰り返すことで何か見えてくるんじゃないかっていう賭けをしてみた、というか。

賭けだったんですね(笑)。

始める前は多分自分は絶対飽きてくるだろうし、しんどくなるなと思ってたんですけど、やってみたら色んな人に会えるし、そういうこともなく2年間は過ぎました。なんていうか、元々は「どこかのアシスタントの吉田くん」だったんですけど、逆に「FL田SHの吉田くん」って呼ばれるようになって、「あ、逆に俺がFL田SHに支えられてる人みたいになった」みたいな。僕より名前が変だし、1回みたら結構忘れられない名前なので。実際、僕個人よりスペースの方が全然知っている人は多いんで、「あ、これはもう俺が育てられてんのか」、と(笑)。自分で決めた名前がこんなに色んな人に浸透してくのって結構快感というか。ただ思い返すと、名前がフザケてるように見える分、しっかりしていこうみたいな気持ちはあったかもしれないですね。単純に言えば、大体は行き当たりばったりみたいな感じなんですけど、一応スペースも軸はさっきの開かれてるかどうか、というところにあって。

そのスペースの場合の開かれているっていうのは、関わる余白があるかどうかっていうことですか?

そうですね。余白であったり、お店やギャラリーだったら誰でも来ることができるとか、そういうことも含めてですね。例えば、もっと専門的に美術の仕事だけをしていたら出会えない人や、喋れないこととかがいっぱいある気がして。でも、お店自体が開いていたら老若男女だれでも来ることができる。そうすればお互いにとって、何かしらのチャンスが発生する余地がある。っていうのは、そのスペースを始めようとした時に考えていましたね。「あ、人と会える」、みたいな。それまでの美術の仕事だけだったら、アーティストや美術のプロジェクトを動かしてる人に、「僕こういう能力があって、こういう働き方ができますよ」っていうかたちの提案しかなかったんですけど、今だったらもうちょっと色んな枠組みで動けるというか。こちらから「展示しませんか」という投げかけだったり、「展示して売ることでどちらも成長したり得になるようにしましょう」という提案もできる。今だったら、ANB Tokyoでキュレーションををやった事での経験と出会いがあるから、更に色んな話が生まれますし。

ご自身のことを「アーティストの時は」って話される時もあるじゃないですか。アーティストとして作品を作られてる時もあるんですよね?

あります。作っているんですけど、最近ちょっと思っているのが、キュレーションや企画する側とアーティストみたいな存在を混ぜこぜにできるなっていうのは考えてます。例えば最近、家の中で簡単に壁を立てて、中継設備をつけてオンライン展示を企画※19したんです。で、大阪にいる友達のキュレーターにリモートでキュレーションを頼んで、でも実際は僕がそのリモートキュレーション自体をキュレーションしていて、その下にも僕がアーティストとしている構造。展示としては、僕が2年前くらいに撮ってた映像と家にあるアートコレクションなどを並べて見せるということをしました。そういうもの含めてキュレーションであり作品であり、最終的にマネタイズできればなっていう試みです。

『鱗が目(thinking about roundabout)』展 2020

そのあいだに自分じゃないキュレーターが入ってるっていうことも、必要な要素ということですよね?

そうですね。全部を自分でやると胡散臭い感じなんで。この着想というかアイデアの元が、企画する側っていう仕事があまりエコじゃない側面もあるというか。作家だったら作家としてどんどん作品が売れていって、経済的には充実した生活を過ごせると思うんですけど、今までの様式だと企画する側だったら労働者としての自分の体以外に売っていくものがない。なので、展示企画のアイデア自体を売れるような仕組みっていうのもあってもいいんじゃないかって思って。というのも、僕がその企画のリモートキュレーションをお願いした、いま国立国際※20でアシスタントキュレーターに入ってる檜山真有※21ちゃんっていう子がいるんですけど、その子がまだ東京いた頃に、自分の一回やった展覧会の使用権を売るっていうのをやってて。それを見に行った時に、「あ、おもろい!」と。いつか僕もなんか違うかたちでやってみたいなってことは思っていたんです。そういうふうに、キュレーターだからこの立場にいないといけないとか、それぞれの既成のフォーマリズムみたいなものをじんわり溶かすようなことをやってる人が何人か出てくると、それがどんどん崩壊して、「俺はアーティストだからこれしかやらない」っていうような人が減っていく。そういった立場がどっちでもいいよねって状態になっていくと、各々自分の居場所がもっと見つけやすくなるというか。僕も自分自身がそういう考え方になってから、ずっと躁状態です。どこにでも行って楽しめるようにセッティングし直して、チューニングし直してそこの場所に行くっていう。デルタのアートフェアだったら、一応キュレーターの立場でデルタの意向も考えて、その中で最大限にハメを外す、みたいな感じで。

デルタに出してた時、FL田SHの壁のところだけ違う人種だなと思って見てました。集まってる人たちの雰囲気や、なんというかアートフェアでの展示、作品に対する態度が他のギャラリストと違ってるように見えたというか。

もともと僕らを呼ぶこと自体、ディレクターの人からすると多分挑戦だったと思います。本当に依頼して大丈夫かみたいなところもあったと思うんで。だから、こちらも大丈夫だけれど大丈夫じゃないかもしれないキワのことを丁寧にやるみたいな心持ちでした。

3.

そもそもの初めから、地球を救いたいみたいな大きな話は僕にはやっぱできないんで、自分の身の回りから循環させて持続可能な状態にしていって、それを周囲の人とかと連携取りながらやって、広げていければいいなと。だからまずは僕自身も様々な事柄は気に掛けながら、やりたいようにやることが真理というか、大切だとは思っています。もちろんフィジカル面では要所要所で無理したりもするんですけど、大枠として無理はしないっていうか。

わかります。それが一番色んな人につながるし、救えることにつながるっていう感じですよね。まず自分のことできなかったら、誰も救えないよなって逆になったりもするし。

そうですね。結局それで理想を追い求め続けすぎて疲れてしまうと、人にやっかみを持つ人になっていってしまうんで。自分の存在をいつでも作り直し続けるというか、疑いつつ信じるみたいなことをしないと、考えもガッチガチになるじゃないですか、リフレッシュできないっていうか。かといって、不安になり過ぎると居ても立ってもいられなくて、何かにすがってしまうというか。「(大事なのは)お金だー!」とかになっちゃうんで。そういうバランスを保ってやっていきつつ、やっぱり挑戦もしていく。ただ、どんどんやればやるほど忙しくなるじゃないですか。忙しくなればなるほど、どこかしら体に不調も出たりするんで。で、そうなると「これは多分持続性ないな」と体から自覚する。だから、最近どうやって持続できるかは色々考えているんですけども。

僕も自分が関わっているアートプロジェクトとか、持続しているものについて考えてますね。僕がいなくなってもずっと残り続けてるっていう状況が、なぜか存在してるといいなっていうか。だから、その持続のさせ方が肝にもなってくるなっていうのは思っています。

気楽に何かをやれる場所というか、自分の居場所を作るのは自分しかいないっていうことを、意外と誰も教えてくれないんで…まあそれは自分で見つけるしかないかもしれないんですけど。

いやでも、そうですよね。例えばドクメンタみたいな国際展はわかりやすい、さっき言ってた西洋中心主義のわかりやすいその業界の目標なだけで、あなたがやりたい作品の話ではないよねっていう訳で。そこの関係性に関してはしっかり持っておかないと、なんか面白くなくなっちゃいますよね。

そうなんですよ。もちろん国際展も出たら面白いんでしょうけど、そういう話でもないみたいな。どういう方角を頼りにしていくかは、その人自身の嗅覚と知性の話だと思うんで。僕は僕なりに、ちょっとボートで海を彷徨ってる感じですけど、それが結構楽しいっていうか、「あーなんかいいとこ来たなー」、みたいな状態です。今回のANBの展示は「楕円の作り方」ってタイトルで展示を作ってたんですけど、キュレーターやアーティスト、もう全員が対等な立場でプロセスを踏んでいく、っていうのをやってみたという感じです。既存の作品を借りて来ずにほぼ新作のみだったので、どんな展示になるかを誰もわかってない状態で。なので、もしかしたら大破綻するかも、とも思いながらプロジェクトを進めていってました。個人的には、作家と僕らキュレーション側っていうのが、いかに豊かな人間関係を結び、そして良いプロジェクト空間を作れるかどうかっていう点にしか注力してなかったので、もしかしたらこれはビジュアル的には完成しないかもしれない、っていう可能性もあったんですけど。蓋を開けてみたら意外と展示然としてたんで、一緒にキュレーションをやっていた布施くん※22と、びっくりしたねって。

『ENCOUNTERS』展内4Fスペース「楕円のつくり方」(キュレーション:吉田山、布施琳太郎)
(撮影:山中慎太郎(Qsyum!))

そんな感じだったんですね。

さっき言ったように基本的には仲良くしたいとか興味があったりする人と仕事をしたいと思ってるんで。もちろん良い作品、良い作家というのは前提にあって、キュレーションという視点があり、その中でも文脈というか自分たちの表現したい空間を目指しつつも、仲良くしたい人だったり今後も一緒に付き合っていきたい人を呼んで展示をやるっていう、エゴの塊みたいなプロジェクトの進め方をしてみた、っていうのがあの展示です。できるだけ全部会話をするというか、「あなたのこの旧作品を借りたいです」っていう一方的な付き合い方じゃない状態で進めていく。「あなたに興味があるんだけど、何を置いていけばいいかを一緒に考えて決めていっていいですか」みたいな。そういう挑戦をANBではしていました。山峰さんも「単純なトップダウンではないことをこの場所ではやりたい」って言ってたんで、僕も尚更その考えを引き継ぎたいと思いましたし、じゃあ展示の作り方自体にそのギミックを突っ込もうと思って。

なるほど。でもそうですよね、僕も結構アートプロジェクトをやってるんで、どっちかというと新作を作ることにしか興味はないんですけど、「なんか作りませんか?」って言いたくなりますね。新しい場所というか、ここだから出来ることがあるし、せっかく一緒にやることになって出会ったメンバーで出来ることがあるはずだから。そっちの方が断然楽しい。

楽しいですね、やっぱりドライブがかかるというか。もちろんその行く先が見えない怖さとかはあるんですけど。「どこに向かっているんだこの車は」という感じなんですけど、車内はとにかく楽しい。

なんだかんだ良いものができますしね、そういう時って。

そうなんですよね。そもそもアーティストが勿論相当に力がある人たちなので、成功したことではあるんですが。なので、まあよかったなと。展示に関して賛否両論はありますけど、個人的にはそもそも僕自身がすごく満足してしまっているんで、そこはもう誰にも譲れないぞと(笑)。もちろん反省とか、次はこうしよう、みたいな宿題は自分の中であるんですけど、まずは自分自身を誤魔化さないというか。自分で満足していくしかない、というのは明確なんで。

結局やるしかないですもんね。

そうですね。そういう意味では、今日はデルタを結構話の軸にしてしまうんですけど、出展依頼が来たのが1ヶ月前くらいで。

トークショーの時も少し言ってましたね。

彼らがやるってなって、案内を出しても開催が1年後だったら熱意が冷めそうだから、1ヶ月後に開催っていう泥舟に一緒に乗れる人がいい、みたいなことを言ってたような気がしますね。最初はアートフェアをやりたいらしいっていうメールが友達づてに来て、「そうか、どんな感じだろう」と思って企画書見たら、来月に開催って書いてあって。で、一瞬考えたんですけど、こんなスピード感は慣れてるなと思って。「1ヶ月ありゃいける、乗るぞー」って。それで、やっぱり結果的に出てよかったなって思います。今日みたいに新しい人にも出会えましたし。

(2020年10月29日)

○注釈

※1 DELTA Experiment (デルタ エクスメリメント):2020年8月に大阪のTEZUKAYAMA GALLERYにて開催されたアートフェア。東京、大阪、京都の拠点とする7ギャラリーが出店。
https://delta-art.net/

※2 李さん:李 沙耶(り さや)。ギャラリスト。2019年に東京、不動前にLEE SAYAをオープン。https://leesaya.jp/

※3 川良さん:川良謙太。VOUオーナー。https://vouonline.com/

※4 FL田SH(フレッシュ):ギャラリー、ショップ、リソグラフ印刷スタジオが三位一体となった、アートショップ。吉田さんが高田 光さんとともに2018年にオープン。入居ビルの建て壊しに伴い、2020年7月をもって神宮前スペースでの活動を終了。移転中は、様々な場所で企画を継続している。

※5 目(め):日本の現代芸術活動チーム。2012年に現代美術家の荒神明香と表現活動集団wah document(南川憲二+増井宏文)によって結成。

※6 川俣正:アーティスト。1953年北海道生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科卒業後、同大大学院博士課程満期退学。82年のヴェネチア・ビエンナーレ以降、世界各国の国際展やグループ展に参加してきた。その作品は公共空間に材木を張り巡らせるなど大規模なものが多く、製作プロセスそのものも含め作品となっている。

※7 増井さん:「目(め)」のメンバー。

※8 京都造形芸術大学:京都府にある私立芸術大学。2020年4月1日付で大学名を京都芸術大学へ変更。

※9 SIDE CORE (サイド コア):2012年、高須咲恵と松下徹により活動を開始。2017年より西広太志が加わる。美術史や歴史を背景にストリートアートを読み解く展覧会「SIDE CORE -日本美術と『ストリートの感性』-」(2012)発表後、問題意識は歴史から現在の身体や都市に移行し、活動の拠点を実際の路上へと広げている。

※10 EASTEAST_Tokyo (イーストイースト・トーキョー):2020年6月に東京で行われたアートフェア。http://www.easteast.org/web/

※11 ANB Tokyo:六本木に新たなアートコンプレックスとして2020年10月11日にオープン。本年11月8日までオープニング展として「ENCOUNTERS」を開催。吉田さんは布施琳太郎さんとともに4Fのキュレーションを担当。https://taa-fdn.org/anb-tokyo/

※12 山峰潤也 (やまみね じゅんや):キュレーター/一般財団法人東京アートアクセラレーション共同代表。東京芸術大学映像研究科修了。東京都写真美術館、金沢21世紀美術館、水戸芸術館を経て現職。パブリックミュージアムのキュレーターとして培った経験を元に、六本木に出来たアートコンプレックス「ANB TOKYO」のディレクションや行政や企業との共同事業、アーティストコレクティブ、展覧会企画など、新たな方向で邁進中。

※13 豊岡演劇祭2020:兵庫県豊岡市にて開催された演劇祭。https://toyooka-theaterfestival.jp/

※14 Aokid × 橋本匠 (あおきっど、はしもと たくみ)
Aokid:14 才の頃にブレイクダンスを始め、大学では映画を専攻しながら平面や 立体作品も制作。1_WALL グラフィックグランプリなど。〈東京 ELECTROCK STAIRS〉、鈴木優理子振付作品や BONUS ダンス演習室に参加。aokid city という独自の公演を持つ。
橋本匠:イメージが人類に与える影響を表現するインプロヴィゼーション方法論 「トランスフォーめいそう」を構築する。六本木アートナイト 2013 など 多くの場でソロパフォーマンスを発表。3 人組フンドシ演劇ユニット 〈さんざん〉やラッパー〈抜け作〉としての活動もある。

※15 平田オリザ:日本の劇作家、演出家、劇団「青年団」主宰、こまばアゴラ劇場支配人。戯曲の代表作に『東京ノート』『ソウル市民』三部作などがある。

※16「開かれた作品」:ウンベルト・エーコによる芸術論。芸術作品とは、享受者の積極的介入によって意味内容が可逆的に発見される「開かれた」形態であるとし、現代芸術の可能性について論じている。1962年初版発行。

※17 ウンベルト・エーコ:イタリアの小説家、エッセイスト、文芸評論家、哲学者、記号学者。イタリア共和国功労勲章受章者。1980年に発表された画期的歴史小説『薔薇の名前(Il nome della rosa)』の著者として最もよく知られる。2016年2月19日、癌のために84歳で死去。

※20 国立国際美術館:大阪市北区中之島にある、独立行政法人国立美術館が管轄する美術館。設立は1977年(昭和52年)。当初は大阪府吹田市の万博記念公園にあったが、2004年(平成16年)に現在地へ移転。

※19 キュレーション、アートマネジメント、流動現代ギャラリー「FL田SH」主宰、散歩詩人として活動する吉田山のコレクションしてきた作品と、吉田山の作品による個展『鱗が目(thinking about roundabout)』が吉田山の網膜剥離治療による自主隔離に設けられた時間、10月19日から48時間の間、自宅で開催される。web中継を通して鑑賞する展覧会。https://yoshidayamar2020.peatix.com/ 

※21 檜山真有 (ひやま まある):1994年大阪府生まれ。同志社大学文学部美学芸術学科卒業、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻キュレーション領域修了。修士論文テーマは「セス・ジーゲローブのキュレーションの技法に関する研究」。展覧会企画に、2018年「Pray for nothing」(「ゼンカイ」ハウス、兵庫)、2019年「超暴力」(山下ビル、愛知)など。

※22 布施琳太郎(ふせ りんたろう)
1994年生まれ。アーティスト。2017年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。現在同大学院後期博士課程映像研究科(映像メディア学)在籍。スプレーを用いた絵画やインスタレーションの制作、展覧会企画や批評も行う。近年の企画に20年『余白/Marginalia』(SNOW Contemporary、東京)、「隔離式濃厚接触室」(https://rintarofuse.com/covid19.html、2020)。