プロフィール

白山 栄(しらやま さかえ)
・京都大学大学院工学研究科 非常勤研究員 (2021.5-現在)
・京都先端科学大学 臨時職員 (2021.8-現在)

2009.4-2012.3
株式会社IHI 航空宇宙事業本部 材料技術部
2015.4-2019.3
東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学専攻 助教
2019.7-2021.3
国立極地研究所 第61次南極地域観測隊越冬隊員(気水圏モニタリング担当)
(2019.11.28-2021.2.22 南極地域へ派遣)

インタビュアー

黒田 健太 Kenta Kuroda _ ダンサー

山本 正大 Masahiro Yamamoto _ アートディレクター




山本(以下Y) 白山さんと出会ったのは、僕が短大だったときの同級生の友達と久しぶりにお酒でも飲もうかっていう話をした際に、このバーズの活動の話をしたら興味を持ってくれたところからですね。「面白い人を探してる」っていう話をしたら、「そういえば私の仲良い子に、大学で研究をしながら宇宙飛行士を目指してる人がいる」っていう話で。バーズでインタビューをしてる方たちっていうのはアートという括りだけじゃなくて、その人なりに色々なことを選択して生きている人だったり、そのために何してるかを聞けたらいいなということを僕は思っています。この前、少しだけ白山さんにお話を聞く機会があったんですけど、本当に知らない生き方をしてるから、今日はそういうことを聞ければいいなと思っています。話はいろんなところに飛ぶかもしれないけれど、全然飛びながらでいいのでよろしくお願いします。じゃあ、白山さん、軽く自己紹介からして頂いていいですか?

S 白山 栄(しらやま さかえ)といいます。石川県出身なんですけど、高校まで石川にいて、大学は東京に出ました。大学院修士課程を修了後就職して、10年ぐらいは東京にいました。大学で工学部の材料工学に進んで、金属の生産とかリサイクルの研究を始めて。で、その研究で博士号を取ろうと思って、会社を辞めて京都大学大学院の博士課程に編入しました。それで、2012年から2015年の3年ぐらいは京都で生活していました。その時も金属のリサイクルの研究をやっていたんですけど、それで学位を取って東大の助教に着任したんです。それが2015年からですね。今も大学のポストって任期付きで5年契約が基本なんですけど。

Y 5年も雇ってくれるんですか?

S 5年です。でも、それも短いと言われているというか。5年のうちに成果を上げて次に行かないと、大学に居られなくなる場合があるので。私の場合も一応5年契約で、そのあと一回再任が可能なので、最長で10年在籍できるっていう状態ではあったんです。元々その気はあったんですけど、やってるうちに研究にそこまで自分は熱意はないなっていうのが(笑)。飽きちゃったなっていう。

Y それは勤めてる時とかに、ふと思ったんですか?

S 博士課程に行ってる段階からうーん、っていうのはあったんですけど、でもやれるだけやってみようかなみたいなところで。それで、まあ研究してみて大体10年ぐらい続けたことになるんですかね。でも、もうそろそろ潮時かなっていうタイミングが訪れて、辞めることにしたんです。5年契約でしたけど、4年で辞めることにして。上司である教授と働いている中で、今後どうする?みたいな話もしていて。3年目が終わるぐらいの段階で実際どうしようってなって。やっぱり再任するにも審査は通らないといけないので、そこそこ成果がないといけないんですけど、論文も出してないし、研究もなかなか進んでいないっていう状況でした。正直ちょっと限界かと思っていたんで、「4年で辞めることにします」って言って。それを伝えた矢先に、南極に行かないかっていう話が飛び込んできたんです。

Y 南極に行かないかっていうのは、その上の先生からのお話ですか?

S それは、ちょっと後ほどお答えします(笑)。とりあえず辞めて次はどうするの?っていう話もあるんですけど、その時は忙しくて辞めたい心境の方が大きかったので、研究から一旦引いてみたいと。まだ次の就職先も決めない方がいい気がしたので、しばらく何もない状況にしようって思っていたんですけど、南極に行けるかもっていう話が舞い込んで、渡りに船というか(笑)。仕事的にも過度に負荷は高くないし、出来そうなレベルで、きっと楽しいだろうし。尚且つ「南極行きます」って言ったら、上司も諸手を挙げて送り出してくれたんですよ、よかったねみたいな。円満に退職できました。結構心配してもらっていたんで、パッといい感じに研究の世界から身を引けたという。

Y それは行った先の南極っていう場所に人が少なかったっていうのもあるんですか?いろんな人に配慮しなくていいから楽かな、みたいな。

S まあそうですね(笑)。結局、大学は2015年から2019年の3月まで勤めました。その後、極地研究所※1っていう南極観測を編成してる研究所に所属することになるんですけど、その年の7月から実際の採用が始まったのかな?3ヶ月くらいの無職期間も挟んで、いい感じにリセットされました(笑)。2019年の11月末に出国して南極に行って、越冬して2021年の2月末に帰国しました。

昭和基地に到着して間もないころの写真。看板前で。
大陸氷床を行く雪上車

Y しっかりと1年ぐらい行かれてたんですね

S はい。その後、しばらく実家にいて、次はどうするかなっていう時に、その、宇宙飛行士になりたいっていう夢は結構むかしからあったんですけど。

Y その時々で選んできた学校や職業とはちょっと違う、目標や夢を長くずっと思ってたっていうことですよね。

S もし宇宙飛行士になるとしたら、理系の大学院を出たり、研究の世界に身を置いていた方がいいかなっていうのもあって、ずっといたんです。もう助教の仕事が頭打ちになってきた時に南極の話に飛び込めたのも、国内でくすぶってるよりは南極の極限状態とか、閉鎖空間で一年過ごしたっていう実績ができた方が絶対いいっていうのもあって、ちょうどいい話だったんです。それで公募に応募して行けることになって。そしたら越冬中、2020年の10月ぐらいにJAXA※2から「2021年秋に宇宙飛行士を募集します」っていう発表があったんです。ちょうど帰国して半年ぐらいで募集がかかるなっていうのが見えて、その応募に向けて準備期間にしようと。3月末までは極地研の雇用ですが、4月以降、選抜の準備と並行してどんな仕事をして生活しようかなっていうのも考え始めました。最初は無職で、失業保険を頂きながらそれを薄く引き伸ばしてバイトをしてもいいかなと考えていました。でも、京大の博士課程に行ってたときの指導教員だった先生が、帰国した時に声をかけてくれて。その先生は、私が宇宙飛行士を受けたいっていうのもご存知で、行く末を案じてくれていたみたいで。そのとき人手を募集してたっていうのもあるんですけど、「宇宙飛行士の試験を受けるなら京大っていう所属先があった方がステータスもあるし、腰掛けでも構わないし、非常勤をやりませんか」って言ってくれて。

Y いま伺っているだけだと、かなり順風満帆ですね。

S 今のところはワガママを言って、好きな感じで働かせてもらっています。ちょっと暇になりたいんで、週3ぐらいがいいなとか(笑)。最初は、週三日で10時から16時までの勤務がいいですって言って。でも、去年の秋に失業保険が切れたんで、じゃあここで雇用保険に入ろうと思って、9時半から17時半にしたのかな?でも3日以上勤務日は増やさないっていう。ギリギリ20時間を三日で稼ぐ。そんなかんじで、最初は週3で暇にしてたんですけど、そういう生活をしているとやっぱり暇すぎるなっていう瞬間が訪れて(笑)。

Y ワガママですね(笑)。

S 東大を辞める時は本当に働きたくないって思ってたんで、仕事するにしても週3、4ぐらいで働くことを考えていたんです。実際やってみたんですけど、いざなってみると人間ヒマがあってもロクなことしないなっていう(笑)。やっぱある程度は忙しくないとダメだなって思いました。それで、何か他の仕事がないかと思っていたら、8月末から京都先端科学大学※3に行くことになったんです。そこもたまたまツテが見つかって。その先生は、リモートセンシング※4を専門にしている先生で。リモートセンシングって、離れたところから現場で何が起こってるかを観測するような技術です。衛星画像を使って解析をしたりですね。日本には鹿が山から農村に下りてきて、作物を荒らすんで困ってる地域があるんです。で、その先生は鹿の分布を知るために、レコーダーを設置して鹿の鳴き声を拾って、それを音声解析にかけて鹿の位置情報を特定するっていうことをやっていて。そういうことをやってるから、マイクの設置や多少のメンテナンスができる人を募集してるっていう話を聞いたんです。ちょっと面白そうじゃないですか、鹿の鳴き声拾いに行くって(笑)。

Y おもしろそうですね。実際に山に入って、音声を回収したり?

S はい。秋以降が鹿の繁殖シーズンで、鳴き声を上げるんです。だから秋はめっちゃ忙しくって、週二回の出勤のどっちかが泊まりの出張になったりとか、それに加えて土日も行ったりして、野山を駆け回って過ごしてたんです。その調査をメインでやっている場所が三重県にある農村地帯で、そんなに山奥じゃない、普通に民家がある田畑の脇でマイクをいじってるんですけど、それの前身になっている研究は尾瀬でやっています。尾瀬ヶ原っていう、群馬と福島と新潟の県境にある湿地帯で、そこは木道のところしか普通は歩いちゃいけないんですけど、おもむろにそれを下りて藪を駆け抜けて、マイクを見つけに行くみたいな(笑)。そんなことをやっていました。

黒田(以下K) もし人が少なかったら行っていいですか!?

S 是非お願いします(笑)。今は「スマート農業」っていうキーワードで、人手がかけられないところに最新技術を導入する取り組みが行われていて、その一環でやっているんです。特にその三重県の多気町が、町をあげてそういう取り組みをやってるみたいで。多様な分野の先生が絡んで、結構いろんなことをやってます。私たちは鹿の音声を録っているんですけど、カメラを設置してる人もいたりとか。まあマイクのメンテナンスなら、私もできるかなと思ったんです。採用してくれた先生も、南極に行って帰ってきた面白そうな人がいるみたいな感じで、「南極だったら山登りとか得意?」って興味を持って採用してくれたっていうのもあって。その先生にも採用の前に、宇宙飛行士の選抜試験を受けようと思ってるんで腰掛け程度かもしれませんけど、スポット参加みたいな感じで野外調査に行けませんか?みたいな申し出をして。

Y 手前の説明だけで大ボリュームですね。

K 宇宙飛行士の話はまだ出てこないですね(笑)。

Y 一番最初に理系の大学に行こうと思った理由も、最終的には宇宙飛行士を目指すための経験というか、実績を踏むっていう目的で行かれてたんですよね。では、働き先で選んでいる南極観測や鹿の生態調査を選んだ理由っていうのは、気づいたらそうなっていたかもしれないのも含めて、なんか、やっぱ働くならこういう仕事だよな。というのはあったんですか?

S 宇宙飛行士はですね、ちょうど私が小学生の時に、毛利衛※5さんや向井千秋※6さんが宇宙に行った時期だったんですよね。テレビで向井さんを見てカッコいいと思いましたし、自分も行ってみたい!みたいな。純粋な子供の夢といいますか。知らないところに行ってみたいっていう願望が、もとから強い方だったとは思うんですよね。だから高校生の時も海外に行ってみたかったし、学生の時も海外留学とかしてみたいなっていうのもありました。結局、行くチャンスはなかったんですけど。知らない土地に行って、ある程度の期間を過ごしてみたい願望はあったんです。

Y じゃあ、宇宙も暮らしてみたいと。

S なんなんでしょうね。自分にとって未知の部分も日常にしていくというか、活動領域もちょっとずつ広がっていくみたいな。そういう感じなのかなと思っているんですけど。

Y 目指すと言っても、わかりやすく言ったら僕なら「頭良くないと無理じゃない?」っていうのを手前に思ってしまったりとか、色んなハードルがまずあると思うのですが、白山さんが小学校の時になりたいと思った時も、まず目の前に小学校、中学校、高校って勉強がある訳じゃないですか。単純にそういう学力的なことはどうだったんですか?

S 幸い勉強はできたんです(笑)。小中の勉強で特に苦労した覚えはないですし。ただ、高校生や大学生になって、大学も東大に行ったんで、やっぱり周りができる人ばっかりになっちゃうし、上には上がいるんで。東大には航空宇宙工学科があるので、そこに行きたいと思って選んで行ったんですけど…。まず東大は教養学部っていうところで、新入生で入った最初は色々な分野の勉強をするんですね。その段階でテストがあって、各科目の試験で平均何点以上じゃないとこの学科にいけないとか、2年生になる段階で3年以降にどの学部学科に行きたいかっていう、進学の振り分けがあって、そこでの競争になるんです。だから人気のある航空宇宙工学科は、むちゃくちゃ人が集まるんで倍率も高いし、点数の高い子しか行けないんですよね。だからもう、高校を卒業して大学に入ったのに、航空宇宙工学科を目指している人たちは、現役の高校生かっていうぐらい勉強をしていて、授業に毎日出て試験対策をしてみたいなことをやるんです。「大学生になってもこのぐらい勉強するんだ!(驚)」みたいな。それから、東大には、「こういう人のことを天才って言うのかな」って思うような、本当にできる人っているんですよね。みんな私よりもできる人たちばっかりだし、そこで力の差も見えるし。やっぱりそういう中で、航空宇宙は厳しいかなとか、宇宙飛行士って相当難しいかもみたいなことは、なんとなく見え始めるんです。それで、私の場合は進学振り分けのタイミングで、ちょっともう航空宇宙にはついていけないと感じて、自分の行ける範囲で興味のあるところに行こうと思って。自分のテストの成績とかが出てくるんですけど、その点数で行ける学科を並べてみて、そのなかで興味のある材料工学にしたんです。で、まあ材料だったら何を作るにも必要ですし、材料工学の中にも航空宇宙に関わっている先生もいて、おもしろいかなって。

Y 宇宙飛行士じゃなくても、何か宇宙の仕事に携われるようなところに行こうかなと。

S はい、そんな感じで選んだりしていました。金属製錬はなぜか出会ってしまった研究なんですけど。修士を出た時の就職先は、IHI※7という飛行機のジェットエンジンを作ってる会社で、そういう航空宇宙系の会社に行きたいなって入ったんです。宇宙飛行士の過去の募集要項を見たりすると、実務経験が必要だったりもして、一応なんとなくそういうことも意識はしていて。前回の募集だと、技術系や科学系の業務歴が3年間ないとダメっていう条件がついていてました。そういうことも含めて、結局働いてはいかなきゃいけないし、じゃあ何をしようかっていうところに意識が向いたりしてた時期ですね。

Y ちなみに宇宙飛行士の募集って、どのくらいのスパンであるんですか?

S 今回は2022年に選抜試験が組まれているんですけど、前回は13年前です。

K それは飛行士の募集がですか?

S はい。前回は2009年にJAXA宇宙飛行士の募集がありました。その時は修士の学生だったんで、応募資格がなかったんですよね。多分2008年の募集も10年ぶりだったと思います。

Y 海外は海外で、また別に募集があるってことですか?

S はい。アメリカはNASA※8で、ヨーロッパも欧州宇宙機関(ESA)があって、そこで募集をかけています。欧米も機会が多い訳じゃないですけど。でも今回の日本の13年っていうのはだいぶ空いたなっていう印象ですね。ただ、日本はこれから宇宙飛行士を増やそうとしていて、今後5年おきに募集する方針が国で承認されたみたいで、よかったなと思っています。

Y 宇宙に行けるようになってから JAXAが宇宙飛行士を募集した回数ってすごく少ないんですか?

S ええと、これまで5回ですね。最初が毛利さん、向井さん、土井さん※9。

K 初めて月に行ったのが冷戦の時代ですもんね。

S そうですね。それで競争もしていましたね。冷戦時代は国が威信をかけて競争をしていたから、アメリカもロシアも相当なリスクを冒して人を送っていたって話もあって。結果的に最初にアメリカが行ったので、そういう競争は終わったっていう説はありますね。いまNASAは「アルテミス計画※10」っていって、人を月に送り込む計画を立てていて、地球から月の周回軌道を通って地球に帰ってくるロケットを飛ばして、宇宙船に人を乗っけて行こうとしてるんです。で、今度はちゃんと月面基地を建てて、月の開発を進めるために人を送り込むと言ってます。日本もその計画を協力して進めることにしていて、そのために宇宙飛行士を増やそうっていう話がまことしやかに噂されていて(笑)。おそらく本当にそうなるだろうなとは思っています。

Y 今回2022年に選抜をやることになったから応募できるし、これから宇宙へ行けるように努力していくっていう段階ですね。

S そうですね。前回は2008年に募集があったけど、応募資格がないっていうことがわかった時点で、じゃあ次は多分10年後かな、っていう。できれば10年かからずに募集してほしかったんですけど。そのあいだ何をして過ごそうかなっていうことになってきて。もうすでに修士の学生で就職先をどうしようっていう状況だったんで、実際に就職して社会人になってとしているうちに、やっぱりこう、日々の生活に追われてしまって(笑)。普段はそういう夢もなかなか口には出さないですし、大っぴらに言うこともしていなかった時期がありました。2012年に学位を取るために京都に来た時、私はこれからどうしてくんだろうみたいな、何がやりたいんだろうみたいなことで悩んで。それで、自己分析をした時にやっぱり小さい頃の夢だった宇宙飛行士をもう一回目指そうと。最近は積極的に目指すこともしてなかったけど、やっぱそこは夢として持って、しっかり言っていこうと。そのあたりから、とりあえず「なりたい」っていうのを言うようにしたんです。「なりたいから」って、言うだけ言うようにしたんです。

Y なりたいって言ってたら、さっき仰ってたようなそれに即した仕事が来たり。

S 意識的に言うようにしたのがそのくらいの時期ですね。博士課程の時の指導教員にそれを言ったのも、今に繋がってますね。

Y それで、もう一回夢と向き合いながら仕事もしながら、っていうスタンスでやりだした。

S そうです。そう思ったのが2012年ごろで、前回2008年の募集から4、5年経ったタイミングだったんですけど、言ってるうちに募集あったらいいな、ぐらいの感じで。

Y 目標の試験が10年後で、10年間で普段の日常生活を送りながら、白山さんの中で目標は常に頭にあって向き合っていたような感じですね。単純に日々生きていくために仕事するだけでも時間は過ぎてしまうこともありそうなのに。熱量や携わる仕事やタイミングも重なって、「やっぱり宇宙飛行士なりたいな。」という、忘れてないし13年経ってから募集があっても準備はしていたんですね。

S そうですね、常に頭の片隅にはあって。ただもう、応募のチャンス自体がしばらく来なさそうっていう状態だったんで、結構苦しいし、悩みも多いし。だから、芸能人とかダンサーとか、芸術家さんみたいだなって思って。

K いつ売れるかみたいな。

S いつ売れるかもわかんないし、いつ実になるかもわかんないけど、でも何かやり続けなきゃいけない。そういう苦しさがあるなって。だから、歌手でビッグになることを目指してやってる人とかって、ほんとに大変だなって思ったりしました(笑)。しかも、何をやったら結果につながるかも全くわからないっていう状態なんで。何をやっていればいいっていう明快なノウハウもないですし。 

Y お金をかければできることでもないし、もちろん勉強はやるけれど、どの勉強がそれに一番合ってるかもよくわからないし。

S それで、仕事は別に何をしててもいいだろうけど、何をしたらいいんだろうっていう。

Y でもそこで南極観測を選んでいるのは、確かに合ってますよね。

アザラシの親子

S 宇宙飛行士の仕事は、現在の宇宙利用でいうと国内の様々な研究者が考えた実験を、国際宇宙ステーションで代行するみたいな仕事内容なんです。あと他には、基地の維持管理をするのも任務ですね。それで、よくよく考えたら南極観測の仕事も、私が入ったポジションは、国内の観測データを使って研究してる研究者がいて、彼らの指示に従って装置を動かし続けるみたいな仕事だったので、ちょうど同じだと思って。場所が違うだけで同じようなことをやるというのが、選んだ理由のひとつですね。あとは、博士課程の時も助教になってからも、私自身が研究に対する熱意がないというのか、興味が薄いということにずっと悩んでいました。私は、引かれた線路の上をうまく走るのは結構得意なんですけど、自分で線路を敷くのは得意じゃないタイプだと思っていて。自分で研究のネタを見つけてそれに向かって計画を立てて、お金もらってみたいな、そういうことがやっぱり苦手というか。意識の問題なのかもしれないですけど、ずっとその感覚はあったんです。自分で研究をプロモートする方じゃなくて、サポートする役回りの方が気楽にできるっていうのはあって、南極観測はまさにサポート役の役回りだったので。キャリアチェンジというか、サポート役が実際どんなものなのかも体験できる機会でしたし。これでサポートする側がしっくりきてるっていうのがわかれば、帰ってきてからのキャリアプランも立てやすいかなっていう。

Y 宇宙の仕事だったりでも、どういうかたちで自分が働けるのかなっていうことも、具体的な分析を含めて動かれてるんですね。そういえば、黒田さんも南極に行きたいって言われてましたね。

K 行ってみたいですね。白山さんの、生活してみたかったっていうのは凄くわかります。

Y 長い期間を少人数で過ごす現場っていう、ちょっと特殊な状況の人間関係とかについては、別に心配はなかったんですか?

S そうですね。逆に面白そうかなっていうのもあって。変な雑音が入らないじゃないですか、南極に30人しかいないんで(笑)。あと、割と引きこもるのとかは好きな方なので。そういう意味では、そんな環境も苦ではないだろうなっていう。

Y 宇宙の場合、一緒に行く人数っていうのは何人ぐらいなんですか?

S 4人くらいだと思いますね。

Y 衛星とかにチームで行って帰ってきてっていう期間としては、だいたい何日間ぐらい行ってるんですか?

S 人によってまちまちですね。ISS滞在の最長記録はほぼ一年ですかね。

K JAXAの中でですか?

S それはNASAですね。でも宇宙飛行士の大半が、一ヶ月とか二ヶ月単位の滞在だったと思います。

K 滞在は国際宇宙ステーションになるんですか?

S 基本はそうですね。ただ、国際宇宙ステーションも老朽化しているそうですが。

K 宇宙空間で劣化するんですか?

S 放射線とかめっちゃ飛んでいますから。ステーションのもともと想定されていた利用期間は過ぎてるんですけど、本当にいろいろ手を加えながら維持してるみたいで。運用期間はたびたび伸ばしながら運用していて、最近また太陽光パネルを大きくするっていう話も出ていましたね。

K 宇宙ではここが自国の場所だっていう主張みたいな、領土問題的な話はあるんですか?

S 例えば、南極も領土権の主張ができなくて、国際的に平和に利用しようねっていう条約があるんですよ。宇宙も同じような国際法があって。国際宇宙ステーションも、アメリカとかロシアとか日本とか色んな国が参画しているので、一応そういった国際共同利用のシンボルとして位置づけられてはいるんですけど、参画してる国は限られているので結構それにも賛否両論があるようです。

Y 南極も宇宙もそうですけど、決して住み心地がいいわけではないというか過酷な環境なので、居住場所としての必要性はないですよね。

S 南極から帰ってきて、新しい職場の人とお話したりすると、やっぱり南極に行きたい人と行きたいって思わない人といるんですよ(笑)。行きたくない人はみじんも行きたいとは思わないし、そこは人それぞれですね。

Y さっき言ってたけど、南極は30人とかの小さなコミュニティじゃないですか。黒田さんは人との関係性に興味があるって言われてたりするんで、そういう特殊な状況っていうのも行く理由になるかもしれないですね。

K 確かにそうですね。知らないジャンルのダンスバトルに出るのとかは、結構おもしろかったりします。コテンパンにやられるけど、なんか面白いみたいな。そういうのは結構好きですね。

Y さっき仰っていたサポートの業務、自分達に来た依頼や毎日あるいは月間これだけの作業があるっていうものを、例えば3人とかのチームを組んであたるんですか?

S 南極はすでに基地の中に定常観測※11といって、24時間365日稼働している装置があったり、あとは週に一回こういうサンプリングをするとか、計画に基づいてやっている観測があります。だから、誰かしら現地にいる状況が必要ということですね。で、そういうメンテナンスや観測をする人たちを公募していて、私はその枠で入れたかたちですね。主担当は基本的に一人です。宇宙飛行士と一緒で、南極越冬隊に入れたら面白いだろうなみたいな気持ちはあったんですけど、とはいえ専門は全然違うんです。南極観測のページを見ると、調理の担当とお医者さんと野外活動のプロみたいな人は公募で毎年募集してるんですけど、それ以外の観測系の仕事を応募要件の字面で見ると、やっぱりそれ相応の専門性がないとダメに見えるんですよね。私は全然専門外の畑違いだったんで、難しいかなと思ってこれまで応募は全然考えてなかったんですけど、偶然知り合った実情をよく知ってる人が、「いけるんじゃない?」っていうことを教えてくれて、無事そこに入れたっていう。ラッキーでしたね。 

Y でもお話を聞いていると、南極観測や鹿の調査やメンテナンスとかも、それはそれで宇宙の仕事に近かったり、徐々にやりたいことにちゃんと向いていく仕事を選んでる印象は受けます。

S 会社を辞めたぐらいのタイミングだと、辛抱が効かなくて一貫性のないキャリアだなと思ってたんですけど、今までの自分を振り返って、最近ようやく宇宙飛行士の選抜を受けることも含めて、どこか頭の片隅に一貫してるものがあったからこういう状況になってるのが、なんとなく見えてきたっていうのが今の感覚です。去年、帰国してから南極の話を学校でしてくださいとか、いくつか講演に呼ばれることがあったんです。だいたい平均して月に一回ぐらい講演をしてたんですけど、中学生の職業講話、色んな職種の人の話を聞いてみましょうみたいなものに呼ばれたことがあって。10分か15分ぐらいのオンラインの枠だったんですけど、中学生はこれから職業体験もあったりするから、働くことの意義とか自分の職業を考えるっていう参考になるように、学校からこういう内容を盛り込んでほしいという要望もあって。具体的には、自分はどういう仕事をしてて、どういう理由でそれを選んだり、働いてて何がやりがいなのかとか、あとは中学生へのメッセージみたいな項目が書かれてたんですけど、やっぱりちょっと適当なことは言えないなと思って。それで、真面目に考えてみたんですけど、ちょうど私の人生を考えるいい機会にもなって漠然と見えたのは、働く上での動機とか、何をやりがいとして選んでるのかなって考えた時に、3つあるんです。まず1つは、何をおもしろいというかは曖昧ですけど、魅力的なおもしろい人と関われる。大学で働いてる理由のひとつはそれかな、っていうのがあります。研究者って、一個のことを興味を持って考えている人たちなので、クセが強かったりしますけど、色々なことを知っているし、話してておもしろい人が多いですね。そういう魅力的な人たちに関われるっていうのが1つ。2つめは、知らないところに行って自分の活動領域が広がること。場所っていう空間的な活動領域が広がるっていうのもそうだし、新しい技術を獲得して自分のできることが増えるっていうのが楽しいですね。これができるようになったとか、やったことないけどやってみたらできたとか。あと3つめは、自分の持ってることで周りの人が喜ぶ、周りの人の役に立つのが、やっぱり嬉しいのかな。それを満たせるような仕事を選んでるんだろうなっていうのが見えたかな、と思っているんです。だから、帰ってきてからのお仕事も色々やっているけど、そういう観点から選んでますっていう話を中学生にしました。

地元の中学校での講演では南極の生活や、宇宙飛行士の夢を語った (野々市市立布水中学校)

S 突然やめようって研究から足を洗ったけど、やっぱり研究業界にいて、なぜかまだ材料研究のお手伝いはしていて。言われた仕事を請け負うだけなんで、超気楽にやってるんですけど(笑)、それはガラッと全然別のことをするって出来ないというか。できるかもしれないけど、お給料とか色んなバランスを考えた時に、慣れてるところからちょっとずつ重ねながらちょっとずつ変えていくっていう。今その段階にあるのかなと思っていて。週3回でやってる材料のお仕事は、慣れ親しんだところではあるけれど、学生の時にやっていたドンピシャのテーマではなくて、別の研究グループが何個かあるうちの燃料電池のグループに今はいます。なので、そこで燃料電池の材料の知識も見ながら、自分にとっては新しい分野の勉強もしながら。一方で、新しく始めた鹿の鳴き声を拾う仕事は、研究領域としては全く新しい分野です。南極で大気観測の仕事をしてたときに、野外での観測や、外に出ていってサンプルを集めたりといったフィールドワークっていうのを初めてやったんですよね。でも南極で終わっちゃうのも勿体ないなと思って、もうちょっとフィールドワークに関わることもできるかな、っていう。そこは今までいた分野と全然違う分野なんで、やってるうちに新しく必要なスキルが身につけばいいなと思っています。

Y 苦手と言って全て辞めてしまうんじゃなくて、自分なりに新しい手に入れたいのもあって繋げていくんですね。全然話が飛びますけど、今日ちょっと楽器を持って来られてますけど、それはサックスですか?

S そうです。全然下手くそなんですけど。中学校の吹奏楽部から、高校も吹奏楽部で、大学も吹奏楽サークルに入って。なんだかんだでブランクも挟みながら、社会人になってからも吹奏楽団入ったりで、結構続いてるんですよね。

Y 一人で黙々とやることとか、例えば将棋だったり個人の力が勝負みたいなところにあるものと、吹奏楽もそうなんですけどチーム戦というかグループでやるものがありますよね。白山さんのお話を聞いてると、チーム戦のことが多いのかなと思ったんですけど、そういうのはあったりしますか?

S そうですね。楽器は一人じゃ吹きたくないですね。やっぱり吹奏楽は合奏が楽しくてやってることであって、周りと共有するのが楽しいのかな。私も、仕事はこんなにフラフラしてるのに、なんで吹奏楽だけはこんなに続いてるんだろうって、自分で考えた時期があります。なぜこんなに長く続いてるんだろうっていうのを考えた結果、どう捉えてるかというと、「合奏」が好きなんですよね。料理や実験作業とも似てるとこがあるんですけど、みんなで吹いてて、無になれる瞬間というか。何も考えない瞑想状態というのか、その場でやっていることに集中して、充実感が得られるみたいな。その一時集中してるけどいろんなこと考えながらやってたりとか、リフレッシュになる感じです。私は人と当たり障りなく付き合うのは得意な方だと思うんですけど、あんまり人と踏み込んだ話をしたりとか、深く付き合うっていうのはなかなかできないというか(笑)。人見知りですって言うと驚かれるんですけど、あまり他人に興味ない方だと思うんです。でも合奏をやってると、周りの人たちと音を合わせるし、周りの人の音を聴きながら、一緒にひとつのものを仕上げることができる。会話じゃないけど、同じひとつの曲を吹くとそれで繋がれてるみたいな。その場の空間を共有している雰囲気が好きなんですよね。

Y なんか南極観測もさっき人数が少ないからいいって使われてたなと思って。人が多くなると単純に発生する情報が多くなって受信者も考えないといけないこと増える、誰かにとっては善のことでも他の人にとっては悪の話になったり、そのような争いはなくて良いよ。とか考えてバランス取るとかは疲れますよね。
それを考えると吹奏楽のような音同士の関係作りができる、他の情報はある程度消せることで考える幅が狭くなるのがいいということもあるんですよね。

S そんな感じで続けてますね。いいリフレッシュの時間なんだと思ってます。

Y 現在黒田さんはダンスとか演劇が団体、チームでやることですよね。でも、もともとはボクシングをされてましたよね。

K そうです。やってたスポーツは個人競技だったんですよ。だから、人といるのはそんなに得意じゃないですね。好きじゃないわけじゃないですけど得意じゃない。でも僕はクラブとかに行って、知らない人と一緒に体を動かすみたいことでグルーヴを感じたり、楽しかったみたいな気持ちにはなるんで、それは白山さんの合奏とちょっと近いのかなって想像しました。

Y 具体的な情報じゃない方が黒田さんはいいのかもしれないですね。でも、そうやって体を動かしてグルーヴを感じれた後は、二人だけなら黒田さんは流暢に喋れるようになりますよね。

K そうですね、二人とかだったら喋れるようになりますね。

吹奏楽団パズル(大阪府堺市)の演奏会前。サックスパートのメンバーと。

Y 悩んでるとは言いつつ、全部がちゃんとこう繋がっていて。

S でもその最中にいるときは、全然どうなるかわからない状態ではあるんですけどね。後から振り返って繋げてみると、こんなかたちになったみたいな。そんな感じです。

Y 黒田さん、あんまり喋ってないですけど、聞きたい事とかないですか?

K いやなんか、今お話を聞くとすごい長い道のりを歩いてきたんだなって思うんですけど、目の前に道があったわけじゃなくて、振り返ったら結局そうだったみたいなことなんだなと思って、勇気づけられました(笑)。

S&Y 爆笑

K きっと道は後ろにあるんだよ、みたいな気持ちになって。

S やっぱり黒田さんもダンスは続けた方が(笑)。

K 白山さんはすごい好奇心が強い方なんだなと思いました。さっきの3つの理由の話で、まず最初に「おもしろい人と関われる」っていうのが出てきたときに、あ、なるほどっていう。

Y 白山さんは、はじめは行きたいや会いたい、面白そうなど興味があること。インスピレーションで様々なことに携わって来られたと思いました。けれど、よくよく考えると…。みたいな感じですよね。お話しにあった鹿の生態調査とかもですけど、最初は「面白そうじゃないですか。」って考えているものも、観測という点で宇宙飛行士の仕事とかとも繋がっているような。
嗅覚で出会うけど、生きてきて考えて来たことが裏付けになった嗅覚って感じがしますね。

S 南極での楽しかったなっていう経験があったから、フィールドレコーディングの話を聞いた時に、「おっ鹿!?」って、パッと「おもしろい」っていう気持ちが芽生えたのかもしれないですね。もしこれが大学で助教をやっている時とかで、鹿の観測がどうのとか聞いても、「ふーん」って思っただけかもしれないですけど、そのタイミングだったからおもしろいと思えた気もします。

K 遠い物事も好奇心がつないでくれてるみたいな感じがして、それがおもしろいですね。

S やっぱり好奇心ですかね。

Y 鹿の話も南極の話もそうですけど、いい話や変な話が来たなって思った時に、受けるか否かを決める精査の仕方というか、基準はあるんですか?もちろん、その時のタイミングもあるでしょうけど。

S そうですね。それこそ南極に行く前の助教をやってた時は35歳で、すっごい婚活してたんですよ(笑)。ものすごく婚活してたっていうのも、婚活自体に興味があったからやってただけかもしれないんですけど(笑)。でも一応真面目に、部活動みたいにやってたんです。婚活って言うだけあって本当に部活動並みですよ。土日は毎週お見合いして、1日に3人とかスケジュールをバーって詰め込んで、部活ぐらいやってたんです。でも、結婚するだけならいつでもできるんだなっていうことと、気の合う人ってなかなかいないもんだなっていうこととか、婚活でいろんなことは学んだけど、ちょうどそういう最中に南極の話がきたんですよね。南極行くか、でも南極行ったら37歳の独身になっちゃうってのがもう見えてるんで(笑)、タイミング的にもちょっと考えました。じゃあ私は結局36歳の1年間は南極で過ごすことになるなっていうのは、ふっと頭をよぎるんですけど。でも、そんなに悩まずに南極を取ったってことは、婚活が私の中ではそれほど重要じゃなくて、断然南極に傾いてたんですね。多分何かする時に、これはやった方がいいかなとか、やらない方がいいかなみたいな、何するにしてもふとした考えはよぎるのかもしれないですけど、でもやっぱり気持ちの向く方に行くしかない…。あと、座右の銘とまではいかないですけど、やらずに後悔よりはやって後悔、っていう(笑)、決断する時にはそういう言葉を持ち出します。やって後悔ですね。あと、最近ちょっとそれに加えようと思ってるのは、自分で見たりとか自分でやったものじゃないと、本当じゃない。やってみないとわからないというか。自分で体験することが全てという気がしています。

Y 結構現場向いてそうな人なんやろうなと思って聞いてました。

S 現場仕事は好きなんでしょうね。

三重県多気町でのマイクロフォンメンテナンス

Y 前にちらっとお話をさせてもらった時に、そのひと個人の哲学を持っているより、普通にいろんな人とフラットに話ができる方が宇宙飛行士に選ばれやすい、ある意味突出してる人が宇宙飛行士には選ばれにくいみたいな話をされていましたよね。宇宙の狭い空間で5人だけで、地球から指示が来るみたいな時に、確かにハイテンションな人がいたら、確かに「待ってください」ってなるんだろうなって思って。だからまだちょっと安全面的には危険な場所なんだなっていう部分があるんですよね?

S 何かお話しましたね。極端な人もそうだと思うんですけど、前回の選抜を受けて最終まで残った方のインタビュー記事を読んだんですけど、躁状態に入りやすい人や、わーって感情的にテンション上がりやすい人は、真っ先に落とされるっていう話を読んで、そうなんだ!と思いました。選考に落ちた方が自分のことを思い起こして、僕はまさにそのタイプでしたねって言ってました。

K 精神診断みたいなのがあるんですか?

S あると思いますね。テストの中に入ってくると思います。

Y だから、もちろん命や沢山のお金がかかってることだからということも含んでいるかもですが、平均値みたいにバランスがとれた人、そこで順応できる人の方が選ばれやすいっていう。宇宙飛行士っていう職業自体は夢や希望を持つ職業だけど、選抜される適正基準はそうなんだみたいな。ちょっとこう、ギャップがありますよね。

S そうですね。でも夢や希望って言われている職業ではありますけど、やってることは超地味な仕事です(笑)。結局のところ、JAXAという組織の一人でしかないんですよね。例えば、強いこだわりや、これをやりたいっていう意思があっても、宇宙飛行士になるとそれが全ては出来なくなるんですよね。「これやってください」って人から言われてることを着実にこなさないといけない。だからバリバリ超優秀な研究者の方がいて、その斬新な宇宙を利用した研究がしたいっていうことを言ったとしても、宇宙飛行士になったら逆にそれはできない部分ではあります。

K そういう方はだいたい地球に残ってその研究のプランを立てるみたいなかたちですか?

S そうですね。自分は行く必要ないんですよね。

Y やりたいことが徹底できないなら、アーティストはみんな成りづらいんじゃない?

K そうかもしれないですね。ただ、その宇宙飛行士の役割がダンサーっぽいなって思ったんですよ。僕らは先に与えられた振り付けがあって、それで体を動かすんで。与えられた内容を自分でちゃんと判断して、それが合ってるかどうかだったりを自分で考えてやるところは似てるのかなって思いました。

S そうですね、音楽もそういうところはありますよね。私は一人で楽器は吹きたくないけど、合奏は指揮者っていう絶対的な存在がいるじゃないですか。それにフォローするっていう状態が自分は好きなんだなと思っていて。道は作って欲しいタイプなんだと思います。でも、宇宙飛行士はリーダーシップを取れるし、フォロワーにもなれるような人が求められていて。どっちもやれる人じゃないとダメなんですね。リーダーとして動く場合もあるし、自分が船長じゃない場合はフォローする役回りにならないといけないし。そういう意味では、私はリーダーシップは昔から苦手かもしれないですね。南極観測は30人をまとめる隊長がいたんですけど、そういう中でリーダーの立場や役割が見れたりもしました。越冬隊は本当に雑多なチームというか、いろんな人がいましたね。私は研究からやってきた人ですけど、もともと共済の職員で事務仕事をしていた人もいたり、基地の設備担当の人たちは、いろんな会社から派遣されて来るんですけど、人によっては高卒で働き始めて、10年勤めてて28歳ですっていう人とか。大卒で会社入って技術を磨いてっていう人もいましたし、普段の生活では全然出会わないような人たちで。お医者さんと調理担当は2人体制なんですけど、ほかは一人ずつ、その人だけの担当の職務を持ってるんですよね。社長ばっかり30人集めた組織みたいな(笑)。社長だけで1つの村を作るみたいな状態の生活なんで、それをまとめるって結構大変で。それぞれにやりたいことがいっぱいあるんですよね。でも一人でできることって限られてて、他の人の手を借りなきゃいけないんですよ。自分の仕事以外に業務支援として他の人の業務も手伝ったりするんですけど、おもしろかったですね。それぞれやりたいことはあるんですけど、結局そればかり追い求めてると全体として回らなくなっちゃうんで。そういう組織だと、隊長は全体でやる仕事や、これが優先度高いみたいなことを明確にしておかないと。そういう方針がないとおかしなことになっちゃうなっていうのは感じましたね。

Y 海賊とかと近い感じしますね。船長はいるけど1人では船は動かせないし航海士とか乗組員たちそれぞれに役割ある状態というか、料理長が「お前ら死ぬぞ」って言ってきたら、乗組員みんなで料理一緒に頑張らないと。ある閉じられた空間での共同生活は、自分のことだけやってたら、一年間生きるのは絶対無理だ!ってなりそうですね。

S そうですね。料理人にボイコットされたら食べられなくなっちゃう(笑)。

K でも料理人がいるっていうのは不思議だなって思いました。宇宙だと簡易食みたいなものがあるじゃないですか、でも南極だとちゃんと料理して毎回出してくれて。ある種の効率を考えていくと、別にカップラーメンとかでもいけると思うんですけど、娯楽というか隙間があるというか。

S 楽しかったですね、娯楽と料理が。閉鎖されている環境ですけど、一応宇宙に比べたら空気もあるし、連れて行ける人の幅も広いんで。閉鎖環境で一年間生活するから、健康管理をするっていう意味でも食事はちゃんと摂りたいですし。あとは食事が唯一の娯楽みたいなところもあるから、ちゃんと美味しいものを食べさせてあげようみたいな発想らしいです。プロの料理人の方が選ばれて来てくれるんです。

南極観測隊でのある日の夕食

Y 宇宙と違って寒いとか単純な体感のキツさはあるでしょうから、宇宙とまた違う過酷はありそうですね。

S 外に出たら確かに寒いんですけど、楽しい基地生活でしたね。基地の中はあったかいんで。

Y また南極でのおもしろ事件とかも聞きたいですね。でも大枠では、白山さんがこれまでどう選択されてきたのかが、しっかりと繋がってるんだなっていうのは理解できた気がしました。

S でも本当に、ここまで繋げて振り返れたからまとまった話になるっていうのもあるんですけど、何というか、最近やっとって感じですね。助教をしていた時とか、私はなんなんだろっていう印象でしかなかったんですけど、ここにきて今までやってきたことと、現在やってることが繋がって良かったなっていう。で、これが今後どうなるかという感じですね。今回の選考基準に年齢制限はなかったんですけど、実際通るのは30代半ばくらいまでかなって気がしていて。私にとってはこれが最後の機会だと思ってるんです。だから、その先もどうするかでまた悩むだろうし、その時その時で選択するしかないんですね。でも、取り敢えず1つの区切りとしてまとまったのが、今年かなっていう気はしています。

(2022年4月23日)

○注釈

※1 極地研究所。
https://ja.wikipedia.org/wiki/国立極地研究所

※2 JAXA:宇宙航空研究開発機構。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宇宙航空研究開発機構

※3 京都先端科学大学:京都府京都市右京区にある私立大学。
https://www.kuas.ac.jp/

※4 リモートセンシング:物に触れずに調べる技術の総称。様々な種類があり、例えば、人工衛星に専用の測定器(センサ)を載せ、地球を調べる(観測する)ことを衛星リモートセンシングと言ったりする。
https://ja.wikipedia.org/wiki/リモートセンシング

※5 毛利衛(もうり まもる):日本人初の宇宙飛行士。科学者。
https://ja.wikipedia.org/wiki/毛利衛

※6 向井千秋:日本人女性初の宇宙飛行士。医学博士。
https://ja.wikipedia.org/wiki/向井千秋

※7 IHI:重工業を主体とした製造会社。https://www.ihi.co.jp/ihi/products/aeroengine_space_defense/aircraft_engines/

※8 NASA:アメリカ航空宇宙局。
https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ航空宇宙局

※9 土井隆雄:宇宙飛行士。日本人で初めて船外活動を行なった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/土井隆雄

※10 アルテミス計画:アメリカ合衆国政府が出資する有人宇宙飛行(月面着陸)計画。https://ja.wikipedia.org/wiki/アルテミス計画

※11 南極における定常観測の推進:国土地理院では、基準点測量、重力測量、GPS(全地球測位システム)連続観測、写真測量による地形図作成等の定常観測を実施している。観測データは、南極地域における地球環境変動等の研究に活用されるとともに、測地・地理情報に関する国際的活動に貢献している。
気象庁では、昭和基地等でオゾン、日射・放射量、地上、高層等の気象観測を継続して実施している。観測データは気候変動の研究等に用いられるほか、南極のオゾンホールの監視に大きく寄与するなど国際的な施策策定のために有効活用されている。
海上保安庁では、海流、水温等の観測、栄養塩、溶存酸素、重金属等に関する海水の化学分析、海底地形測量を実施している。これらのデータは、南極周極流の変動特性を明らかにし、南極海の海洋構造を把握するために必要であり、地球規模の気候システムの解明に寄与している。また、潮汐観測も実施し、地球温暖化と密接に関連している海面水位変動の監視に寄与している。(出典:国土交通省HP