プロフィール
置田陽介(おきた ようすけ)
1976年 大阪府生まれ。
1998年 学習院大学法学部卒業。2005年より2012年までデザイン会社graf所属。2013年1月よりOkita Yosuke Attitudesとして活動。グラフィックデザインを起点に、多岐に渡る仕事に携わる。
現在、Attitude inc.代表。
インタビュアー
冬木 遼太郎 Ryotaro Fuyuki _ アーティストhttps://ryotarofuyuki.tumblr.com/
山本 正大 Masahiro Yamamoto _ アートディレクター
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置田陽介さんは、僕が10年前に勤務していた大阪のデザイン会社graf(グラフ)※1の時の上司で、現在はアートディレクションとグラフィックデザインを主な生業にしながら、様々なジャンルに精通した活動を行っている。過去にも断片的に仕事に対する態度や生活と仕事の距離感などについて聞いていたが、今までしっかりと伺う機会はなかった。
グラフィックデザインやプロダクトデザイン、家具や建物、その他のかたちある物を創造して生み出す仕事には必ず意匠を考える工程が発生する。デザインというとその意匠を作り出す仕事に目を向けられがちだが、複数人(チーム)で1つの物を創造する場合、度合いはあるが同じ方向を見て進まなければいけなくなる。いわば、船を航海させるときの船長のような立場の人間が必要で、その役目をディレクターは行うことになる。当時の置田さんの仕事を横で見ていたことを振り返ると、デザイン/意匠を行うことよりも、ディレクション/企画でアウトプットされるものごとの質を上げる動きをしていると感じていた。
それは、置田さんの仕事以外の生活、本人が考える「生きる」ことへの態度が影響しているのか。置田さんが職にしているクリエイティブ業とそれらの距離感や、様々な職業がある中でデザインを選択した理由。また近年、クリエイティブ業で活動しやすい都市から、島へ移住したことなど。さまざまなことが彼の中でどのように繋がっているのか、妙に気になりだした。たぶん、置田さんがなにを大切にしているのか、それをどのように世界で表現しようとしているのか。それが気になっているのだろう。そんなことを前日に思いながら、大阪からほど近い淡路島に冬木遼太郎と二人で話を聞きに行った。
(山本正大)
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1.
山本(以下 Y)僕は副手というか、何ていうんだっけ、ティーチングアシスタントとしてグラフの授業にいてて、そこで置田さんと知り合って。
冬木(以下 F)じゃあ最初は授業アシスタントと先生っていう関係で、置田さんがグラフから来られてて。そのあと山本くんが入って?
Y そうそう。結構無理やり入らせてもらった時に、口聞きしてくださったのが置田さんで。
F 無理やり?そうなの?
置田(以下 O)割と強引やったね。ガンガンきてた。
Y 本当に、弟子にさせて下さいくらいで。なぜかグラフの事務所に毎日来てるみたいな。
F そんな感じなんだ(笑)。
Y そうそう。で、置田さんが服部さん※2とか上の方に掛け合ってくれて。そのままはちょっとっていうのが多分あっただろうし、どうしたらいいかっていうのを考えて下さって。
O 1階のフリースペースみたいなところでね。あの時期はなかなか大変だったね。
Y そこから何とか入らせてもらったけど、本当に何もできない状態のままいてるし…
R それは、「デザインの仕事させてください」って? もう少し広く?
Y もうちょっと広い意味で。勉強っていうと働くものとしてよくないけど、ディレクションとか企画を学ぶつもりで。あの時はグラフのビルの1階がフリースペースで、植物の販売だったり自社商品をどうプロモーションするかとかを、置田さんが中心になってやってて。
F じゃあ何年ぐらい一緒にやってたの?
Y 1年半か2年..グラフでお世話になったのは1年半くらいかなあ。まあ無理やり行ってた時期も合わせたら2年くらい(笑)。
F それで、いざ入ったら何から始まったの?
Y どうしていくかっていうのも一緒に考えるかたちで始まって。置田さんが「どうするつもりなん?」って聞いてくれて。で、僕も「こうやと思ってるんですけど、無理ですかねえ…」みたいな(笑)。おかしな就職だよね。
F 強気やね。
Y 僕の勝手な想像だけど、そのとき裏で置田さんが色々と動いて下さっていたんだなっていう。まあ、すごく勉強させていただいて。今回それこそ、置田さんに話を聞きに行こうと思ったのも、僕のディレクションすることに対する意識は、やっぱり置田さんがやっていたことがあるんだろうなっていう自覚はあります。そういう思いがあったのと、あとは最近移住されたっていうことも気になって、今日は話を聞きに来ました。
置田さんの自宅兼オフィスの前にて
Y 最近ウェブに投稿された記事や本を読むと、例えばこのあいだまでやっていた展覧会とか直近のできごとだったり、いま流行っているものについて書かれている。で、それが何らかの媒体に載るっていうかたちが圧倒的に多いなと思っていて。東京の展覧会とかを見てても、集客するための展覧会が凄く多くなっているように感じていて。でもなんというか、そういった時間の速度とは距離をとって、ちゃんと自分で考えて作ってアウトプットしている人はたくさんいるのに、その人たちの話す言葉ってあんまり聞く機会もなかったり、読む機会も多くはない。それこそアーティストやクリエイターはすごい考えてるし、面白いのはアウトプットされた作品だけじゃないっていう中で、ちゃんとした話を見聞きできたら楽しいなっていうことを、最初にバーズのメンバーで話してる時に僕は言ってたんです。で、そう考えたときに、置田さんは所謂グラフィックデザイナーがやっている仕事の領域よりも、もう少しディレクションに寄ったというか..
O 多分そうだね。一応肩書きはグラフィックだけど、自分でもそこまでグラフィックデザイナーっていう意識はないし、周りからもなんか色々やってるんだなって感じに見られてると思う。それはそれで面白いかなと思うし、グラフィックデザインも写真家も多分アーティストも、今はそれだけで食べていくってなかなか難しいよね。実際、それだけをやってる人って減ってきてると思うし。時代のいろんな変化に対応できなくなってきてるのは、やっぱり旧来の枠組みにとらわれている人達だとは思うんよね。まあ一部のトップスターは知らないけど、例えば写真家でもやっぱりファッションしか撮らない人が、コロナでロックダウンした状況でそれしか撮れなかったら、もう仕事はないわけやん。でも、どう言われようとファッションも静物も撮るし、雑誌の取材に行ってたりもした人たちの方が今でも仕事を回せてるし、色んなことを経験してるから幅も広くなっていってるよね。動きの早い世の中、どんな状況になっていっても生きていけるサバイバル能力というか生命力というか、そういうものが何より大事やと思うね。
F 今日、ここに来る前に置田さんのホームページを山本くんから送ってもらって、そこに載っているお仕事は拝見したんですけど、最初の業界の入りというか、経歴は何からだったんですか?
O グラフィックだね。でも大学は美大とかじゃなくて、高校や大学くらいまで自分が何をやりたいかはよくわからなかった。というのはウチの周りがみんな税理士だったり弁護士だったり、そういう勉強系の職業の人が多い家系で。で、行ってた学校も進学校だったから、どっちかいうと勉強ばっかりしてた。 部活もしてたけど、アートやカルチャーに触れる機会はそこまでなくて、そういうことで仕事になるかどうかもあんまりわかってなかったし。それで、大学は東京に行って、フォトショップとか、マックとか色んな機械を買ったんやけど、そこからそういう世界に入っていった。デザイン事務所でバイトしてるうちに「あ、こっちの方が面白いな」って。周りはみんな企業に就職していく中で、自分は全然授業出ないでそういうことばっかりやっていて。で、結局そっちに行ったみたいな。大学卒業していきなり独立して、友達と事務所始めたからね。
Y ええ、そうなんですか。
O なんかその、第一次スモールオフィスブームっていうかね。
Y そんなんあったんですか。
O 若手のグラフィックチームが結構出だしていた頃で、ええと、知らんやろなあ…「GAS Book(ガスブック)※3」っていう、媒体はDVDかビデオだったんだけど、そこに若手の色んなクリエイターが作った広告やビジュアルイメージを集めたものがあって。で、その大半は個人で始めたようなやつらが面白いものを作ってた。僕が仕事をやり出した時期はそういうものが出来だしたりして、丁度ウェブの仕事が黎明期だった。フラッシュ※4でちょっと動かしたりすると、すごいって反応で、何十万も貰えるみたいな世界だったんだけど。古くからやってるデザイナーって、考え方がもう紙しかないからウェブにはなかなか参入できなかったんだけど、僕らの世代ってちょうど紙とデジタル両方の合間みたいな時期だったから、ウェブにもあんまり抵抗なく入れた。で、グラフィックもやってたけどお金になってたのはほぼウェブのフラッシュだったりサイトだったり。実はそっちを結構作ってた。そういう仕事をやる会社を同じデザイン事務所でバイトしてた友達と無謀にも、しかも5人で始めて。「3dl design(3デシリットル デザイン)」っていう、なんか変な名前でやっててんけど(笑)。それがだんだん上手くいくようになったりして、ちょこちょこ大きな仕事とかもやり出すようになった。その頃にフリーでやることの面白さっていうのは感じてたね。まあ、しんどかったけど。
Y で、もう既に事務所はやってたのに?
O 事務所はやってたけど、とにかく働き方が不健康だった。運動しないし、ずーっとパソコン見てるし。クラブとかすごく好きだったから、そんなところばっかり行ってたけど、まあ不健康。で、大きな仕事がちょっとプツっと切れたタイミングだったり、ずっと一緒にやってたけど少し仲間割れみたいなのがあったりとかで、一回リセットしようというか、解散しようってなった時があって。
Y それがいくつぐらいのときですか?
O まだ25、6ぐらいかなあ..渋谷の結構家賃が高いところに事務所を構えて、だんだん上手くいってたけどこの先は限界あるなってみんな思い出して。もともと技術的な下地がすごくあったわけじゃなかったからね。僕自身も付け焼き刃でやってたけど。ちょっとしんどいなってのもあったし、仲間割れみたいなこともあって、「一回辞めよう」ってなって。で、辞めてみて、その時はこれからまたデザインを追求しようという気にそこまでなれなかった。それはひとつには、広告関係の業界の、例えば受発注の仕組みのようなものが見えて、なんかおもしろくないなって思ったり、こういう世界なんだって見えたものが、あまり本質的じゃないなって。その、「本質的じゃないな」って思うことが大きかったかな..多分それがすごく大きかったんだと思う。その頃に自分がハマっていったのは、ホールアースカタログ※5とか、結構スピリチュアルな方向。地球のこととか、アースデイ※6っていうイベントがあるんだけど、そういうものに行ったりしてるうちに、段々ちょっとヒッピー系の奴らと仲良くなっていって(笑)。でも僕はそっちの方が本質的だと思ってたし、要はヒッピー的な考え方の方が世界が良くなると思ってた。それで、そういうのに結構どっぷりいってた時があったね。その時はもう肉体系のバイトとかしてたからね。
Y 打って変わって(笑)。
O なんか配管掃除みたいなことをやったりとか。でも、それも自分の限界を知りたいっていうか、一日中オフィスにいてクーラーが効いた中でデザインの仕事してるのが人間じゃないでしょ、みたいに思っているところがあって。それって動物として変だと。それよりも体を動かす方がいいし、日雇いとかだとそのまま日当を貰える。これってめちゃくちゃ「生きる」っていうのに近いなって。それで、そういう働き方と考え方にハマってた時期があって、だんだん日本が窮屈で嫌になってきて、海外に移住したいなと本気で考えるようになって。そのためのお金を貯めるのに東京だと難しいから、実家のある大阪に帰った。それで実際半年くらいヨーロッパで放浪したり暮らしたりしたけど、結局日本に戻ってきて。戻ってきてしばらくしてグラフと出会った。しかもグラフと出会ったのもデザインの部門じゃなくて、gm※7の部門が面白いと思ったんよ。スペースを持ってイベントをやって、お客さんの顔が見えて、ダイレクトにコールアンドレスポンスがある場をつくるっていう、そういうことの方がすごく生き生きしてて楽しそうだと思った。
F グラフの中の、スペースで何か企画をする部門がgm?
Y うん。それが、gmさん。だだっ広いスペースがあって、そこで展覧会の企画とか音楽のイベントだったり色々やってたんですよね。外仕事でもキュレーションとかはやられてたけど。
O そうそう。だから、山本くんが入る前のもっと前に、僕が入った頃はグラフビルがあって…グラフビルは知ってる?
F 知ってます知ってます。
O あのビルが一棟あって、そこに工房やレストランがあったり、事務所とかショールームがあったりしてた。その横のビルの1階に広いスペースがあってそこがgmっていう部門で、イベントをしたり現代アートのギャラリーみたいに展覧会を回していったりとかをしてたんよ。しかも作り方がグラフの特徴を生かして、建て込みをする。巨大迷路みたいのを作ったりとか、すごい建て込みをして。志賀理江子※8ちゃんっていう写真家の展覧会を見て僕はグッときたんだけど、その展示も空間の中に更にもう一個部屋を作って、真っ暗にしてやってた。そういうのも含めて面白いと思って。だから、グラフィックデザインを求めてグラフに入ったわけじゃなくてそっちに興味があった。
Y そうだったんですね。
当時のgmのギャラリースペース(Chez Andreas och Fredrika展 2006-2007)
O でも、実際に入って自分も企画をやっていくうちに、こいつはグラフィックデザインをやってたんだっていうのがだんだんバレてくる(笑)。そうすると、「展覧会のチラシ作って」から始まって。こっちにグラフィックチームの仕事も少しずつこぼれ出してくるようになってきて。だから、企画をしながらそれ以外の仕事もやってた。gmは人が見にくるスペースがあるから、土日はずっといないといけない。月曜日は休みなんだけど、グラフィックのクライアントワークも同時にやってたから、月曜日はそういった仕事をしてた。だから本当に休みなかってん、数年ずーっとほぼ会社におったみたいな。でも、めっちゃ面白かったけどね。
Y なんか、当時の作家さんがグラフで展示する時は、置田さんの家がレジデンススペースみたいになってたって話を聞いて。
O そうそう(笑)。なんで知ってんの、それ?
F なんかもう、全部仕事してるみたいな感じですね。
O そうやねえ…しかもグラフから前の家まで結構遠かったんよ。当時、天王寺あたり※8に実家が貸してた長屋があって、そこに住んでたんだけど、「アーティスト泊めてあげてよ」みたいな感じになって。「遠いですよ」って言ったら自転車2台用意されて(笑)。
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2.
Y 置田さんの中でグラフィックデザインとか何かを作る時に、そういったレジデンスであったり、直接仕事には関係なさそうな色んなことをやってるわけじゃないですか。そのあたりって今の仕事に影響はあるんですか?
O それはあると思うなあ。どういう影響があるかっていうと、やっぱりその場をどう生かすかっていうことを、どうしてもすごい考えてしまう。だから単純に、グラフィックが強くて勝ってりゃいい、みたいな回答にはならないというか…グラフィックデザインバリバリの人って結構グラフィック単体で勝負しようとするから、ともすればグラフィックはすごい立ってるけど内容と全然あってなかったり、内容はショボいけどグラフィックは立ってて、そこで引っ張ろうとしてるみたいなものが結構あるんだけど、どうしても僕はその内容を見るというか、どう内容と融合していくかを優先して考えてしまうクセが強いかな。まあ、もともとすごい絵が描けるとかかそういうタイプじゃないみたいな部分もあるんだけど。でも、グラフィックだけ抜き取って「すごいポスターでしょ」みたいなのはちょっと、あんまりそれがいいのかどうかはわからへんな、みたいな。
F あらためてさ、ディレクションって何?別の言葉で言うと何になるんかなって。山本くんもディレクターだよね。全部を見る人…みたいなことなの?
Y あー、でも今日話をしに行くから、じゃあ僕はディレクションって自分が何を考えてるんだろうって改めて思って。で、昨日ふと思ったのが、例えば事業とか何かをやる時に、まず最初に「何をしたいか」っていうような目的地を決めることが多い。で、そこにどう辿り着くかもあるけど、その目的地よりもうちょっと先に行くためにはどうすればいいかっていうことも歩きながら考える、みたいな。メンバーはみんないっぱいいる中で、目的地がズレたらおかしくなるし、そこに行くための方法は考えるけど、最初に考えてたことからも、もうちょっと先に行く気がしてて。
F 例えば最初の目的地が「展覧会をしましょう」だったら、もうちょっと先は何?より良い展覧会?
Y より良い展覧会なのか…大元にある作家がやりたいことを聞いて、それだったら展覧会もやるけど、こうした方ががやりたいことに近くない?みたいな。なんていうのかな、解答の出し方はより良い展覧会だけではないと思う。
F なんか単純にさ、「新しい製品を作りましょう」っていうことのディレクションということだったら、デザインや費用、販路とか全てを見てる人がディレクターだと思うけど、おそらく置田さんや山本くんのディレクションは、もう少し違いますよね。
O やってることは結構広いかな。人との付き合いもめちゃくちゃ重要だし、例えばクライアントも含めてプレイヤーも何人か集まってチームで話す時に、なんかちょっと喋りにくいとか、空気悪いなと思ったら良い雰囲気にしていかないといけないから。ディレクターっていう言い方が正しいのかわからないけど、自分はそういう仕事もディレクションに含まれてると思ってる。それはまず目的地に行くためのディレクションをするっていうことで。ディレクションってのはやっぱり、それぞれの方向を向いている人たちに「いや、こっちでしょ」って言わないといけない。その仕事でもあって、時には付いて来いよっていう仕事でもある。でも、強引に付いて来いって言って嫌われてしまうとよくないから、あいだを繋げることもしないといけないし。あとはやっぱり自分もゴールを見ているなかで、クライアントさんが描いているゴールを、「ここに持って行きたい」っていうところを聞き出すことからディレクションは始まる。言うのが下手な人もいるのでそれを聞き出して、そこに向かうための全ての責任を自分が持つっていうか、そういうところが結構大きいんよね。で、グラフィックっていうのは、自分にとってひとつの武器だし、道筋を描くときや目的地を共有するときにものすごく強力なツールとして機能するんだけど、でもやっぱりあくまで1つのツールとして捉えてるというか…目的地に向かうためにはこういう方がいいんじゃないか?っていう色んな道筋を常に考えるようにはしてるってことかな。
Y 道筋を考えることをもう少し掘り下げて聞きたいんですが、話の端々に聞こえる人との関係性というか、話し合う場だったりコミュニティだったり、なんか置田さんはそういうことをすごい大切にしてるんだろうなってことを思ってて。そのあたりはなにかあったりするんですか?
O ええと、何?周りの人を大切に?
Y なんというか、ディレクションしたり仕事でグラフィックをやること以上に、自分の立ち位置や状況を選ぶとか..
O いま話してて思ったんだけど、さっきのディレクションの話でいうと、ある目標を提示されてそこに向かうっていうこと。で、それを成功に導くってことは散々色んなことやってきて、まあ自分でもある程度できるとは思ってる。でも、結構それに飽きてきたっていうか(笑)。「それはあなたの目標でしょ」って。相手と僕の目標がズレてる場合でも、仕事として受けたら僕は手伝わないといけないわけやん。いまの自分のマインドからすると、服屋さんの服とかもうどうでも良かったりする、正直に言うとね。もちろん洋服でも、すごく真剣に向き合って作ってる人達もいるし、エコだったり新しい視点に目を向けているものもあるから一概には言えないけど、既に世の中にあるのと同じようなものを売ってる会社の側が、そういう商品の売り上げを上げたいっていう目標があっても、自分がそれに対してディレクションして持っていくってのは、もう気持ちの面ではほぼないわけよ。本気で入れない。チームを導くためとかさ、お金をかせぐためみたいなんでやるんだけど、正直どうでもいいと思ってる部分があるというか。だけど、普通だとそういった仕事をしない限りお金は入らないわけで、会社員ってそうやんか。でも、そういった仕事を本当に心底愛せてるかどうかっていったら、ほぼ自分にはもう気持ちはない。でもやっぱりそこから抜けたらお金は入らないから、暮らしていけないからっていう理由で続ける。自分もそれは怖かったから。もし若い頃だったら「もうやーめた」ってきっぱり辞めていたけど、子供もできて家庭も持ってたから、それ以外のことでどうやって食えるかみたいなことを、やっぱり徐々に実験していくしかなくて。本当に自分のやりたいことでやっていけるかっていうのを色々実験していって、そのひとつがelements(エレメンツ)※10だったりする。elementsをやってみて、あんなに訳がわからないものでも、それなりにファンができたりとか、展覧会ができたりとか、本が作れたりとかしてる。こんな難しいテーマでも響く人いるんやって。で、周りを見てても、滋賀県にあるNOTA SHOP※11とかも、ド田舎ですごいぶっとんだお店をやっている。立ち上げ当時、「こんなとこでこんなエッジ効かせて誰が来るんやろう?」って正直心配してみてたけど、今やインスタや口コミで勝手に話題になって、ものすごく賑わってる。それをみて、今の時代、一見変わったことでも自分の信じるものを愚直にやり通すことが結局一番大事なのだな、と。そういうのを見たりとか、いろんなことでちょっとずつ、いけるんじゃないんかっていう確認を段々作っていって、新しい生き方へのソフトランディングを徐々にしている状態。
elementsでの制作風景
F 山本から話をたまに聞いてたんですけど、それこそ豊嶋さん※12がグラフを抜けられて、そのあとにやっぱり豊嶋さんに付いていったというか、同時期に東京に行った人は何人かいて。でも「単純に仕事をする環境で色んなものが近くにある点では東京とか大阪がいい、でもそういうかたちじゃないことを置田さんは考えてて、また違う場所を選んだのが僕は気になる」って彼は言ってたんですよ。
Y 必ずしも仕事をしやすい状況ではないと思うんですよ。クリエイティブ業とか、バリバリお金を稼ぐことをやりやすい場所ではないところに敢えて移住したんだなとは思っていて。けど、いま言ってた価値や資本じゃないところで選ばれている。「それに飽きた」っていう言葉をさっきは使われてたと思うんですけど。
O 飽きたっていうのもあまり良くない言葉だとは思うんだけどね。だけど独立はしてて、自分の舟を走らせてるつもりだったけど、よく考えたら、こう、巨大な船があって。結局みんな大きな船に乗ってるわけよ。で、どこに進むかもわからない。もしかしたら、ずーっと前の方にいる人が舵を取ってるかもしれないけど、もうその人は見えない。ほぼみんなそこに乗っちゃってるわけで、ずーっと先の見えない舵について行ってる。それで、僕は自分が独立して自分の舟を漕いでるつもりだったけど、気がついたらその大きな船の後ろで、おこぼれを貰ってただけっていう状況。ファッションの仕事をしてたり、飲食の仕事のディレクションをし たりしても、もし大元がダメになったら自分も一緒に倒れてしまう。まさに今のコロナだったり、世の中の変化が急に起きた時に、結局自分も一緒に死んでしまうなっていうことに気がついて。
Y わかります。
O でも、豊嶋さんもそういう気持ちはあったんだろうね。グラフをやめてgmだけでやっていくっていう時も、そういう気持ちがあったと思う。でも、豊嶋さんは自分で食える状況なんよ。自分一人で小さい舟でビューって行って、何かを獲れる。だけど、自分にはその力はまだないなと思っていたから。で、僕が一緒についていかなかったのは、モリを持って狩りをする能力が自分にまだないのに、ただ付いていって船にいても、例えば豊嶋さんが急にいなくなった瞬間とかに難破するんじゃないかって思ったんよ。だから僕はトレーニング期間を持とうと思って。それがグラフでグラフィックであったり色んなスキルをつけるっていう期間だった。で、ある程度スキルがついて独立して、いわゆるグラフィックデザイン事務所としてガンガン仕事してた期間があって、それも結局は、さっき言ったように大きな船の後ろでおこぼれをもらっている状態だと気づいて、やっぱりこのままじゃあかんなって。そろそろ自分でモリ突きに行きたいなって(笑)。
Y やっぱりモリを突きに行きたいと(笑)。
O だって自由やん。自分で道を決めれるわけで、生き方だって決めれる。でもみんなが乗ってる船にいたら、平日は常に電話に出ないといけないとか、いろんなところに挨拶に行かないといけなかったり、いろんな社会のルールがあるやんか。それがめんどくさいなって(笑)。単なるルールみたいなものは本質的じゃないし、それに従属させられてるっていうのは嫌で。だからそこから抜ける方法を徐々に作っていって、ここに来たんだけどね。
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3.
Y それとはまた別で、置田さん自身が信じてたり、好きなことをやっているファッションや飲食の方とか、それこそアーティストでもいいんですけど、そういう人と出会えたら一緒に仕事はしたいなっていうのはあるんですか?
O そういうのはあるよ。あるし、一緒に仕事する仲間は本当に欲しくて。しかもその人も何かスキルを持ってて、志を共にして一緒になんかやろうっていうのはいいと思う。けど、育てていくみたいなのは元々あんま得意じゃないし、ちょっと今はしんどいなっていうのもあるかな。でも、一人でやりたいわけではない。本当はここに来て何人かでやってるのが理想。楽しくしたいし。同じビジョンをある程度共有しながらね。あとここに来てもう1つあるのは、そういう自分でモリを突いてる人たちがいっぱいいてるから。そういう人たちは自分の舟を漕いでるから、喋ると面白いよね。でも前に奈良の生駒ってベッドタウンに住んでたんだけど、そこで出会う人たちはほぼ乗組員だから、やっぱり話してても面白くないわけよ。全然張り合いがないというか、探り合ってるサラリーマン特有の感じで。いろいろあるよね。あと同調圧力みたいなものも、この場所まで来たらほぼない。平日の昼間からウロウロしてる働き盛りの人って、都会だったらちょっとあんまりいい目で見られへんかったりするやん。そういうのも別にないし、そもそもここだとそんなに人に会わないし(笑)。僕は意外に気にしてしまうから、ここなら自分の好きなようにやれる。でも、そういう他者の目を気にしないと多分ディレクションってできないんだよね。気にしない人だったらオラオラでいっちゃうから、いいディレクションはできない気がするなあ。でもさっき言ったように、ここはやっぱり自分で生きていく能力がないと厳しい場所だから、そういうのは最低限つけた上で、共感のできないような旧来型の受け仕事っていうのを極力少しずつ減らしていって、ここでやる企画だったりとか、自分ともっと一致していることで最低限稼げたらいいかなって。別にお金持ちになりたいわけではないから。あとはこういうふうに、人が来てくれる時間を大事にできるようにしたい。みんな忙しすぎるんよね、周りのデザイナーも優秀な人が多いからなのか、独立して優秀になっていけばいくほどみんな時間がなくなって、全然会ってくれないようになったりとか。
Y わかりますわかります。なんていうんでしょう、仕事の付き合いの方が大切だから、例えば、僕が友人の事務所をフラッと訪ねていっても、まあ無視まではいかないけれど。
O そうそう。みんな仕事に強迫観念を持ち過ぎてるよね、本当に大事なことっていうのを見失いがちやんか。ゆっくり時間をかけて友達とかと話すのって、自分もできなかったけど、それはあんまり嫌やなと思って。
Y 置田さんとか横山さん※13とかエレメンツのメンバーって、田舎に移って色々されてますよね。最近横山さんのフェイスブックを見てても、繊維工場行ったりとかいろいろ上がってて。
O 変な動きしてるよね。横山は予測不可能だから、僕もよくわからない(笑)。まあでも楽しくやってるし、多分向かってる方向は似てる気はしてるけどね。彼もデザイナーとしてはもちろん力もあって、もっとバリバリやっていこうと思ったらやれるけど、そっちじゃないなってのは思っているところなんじゃないかな。あと、この場所に移ってきたことに関して言えば、他の人が参考にしやすいようにしたところはあって。デザイナーとかがむしろかっこいい仕事をするのにこっちに移ってくる、みたいなことのモデルではないけど、かっこいい仕事をするのとこういう田舎に来るのって、どっちかを捨てないといけないように見られがちで。けど、俺はそうじゃないんじゃないかなって思ってて、全然両立できると思う。むしろ時間の余裕がある分できることとか、広いスペースがあるから可能なことがあるんじゃないかと思っていて。単純なスケールメリットってあって、なにか作品を作るとしても、 どうしても人間ってその場所で考えて作ろうとするから、 都会の小さな事務所で作るものの大きさって限られてくる。 小さな部屋でバカでかいものは作れない。
Y 普段から想像もあまりしない大きさだから。
O しない。だから都会のプロダクトデザイナーがつくるものって、どうしても似通ってくるところがあると思う。それを打破するのに、環境をガラッと変えるというのは、ひとつの手段だとは思うな。 発想の面でも広がると思うし。
自宅兼オフィスの後ろにはなだらかに小高い山が連なっている。海岸までも徒歩10分くらいで行くことができる。
F あとは、単純に街に飽きたっていうのもあるんですか?
O あー、あるね(笑)。
F 飽きますよね。
O なんというか、街ってお祭りみたいな状況だと思うねん。屋台の出店みたいに店が常にいっぱいあって。本当はその状況は夏休みだけのもので、普段の日常はそうじゃないっていう方がいいんだけど、やっぱり街で仕事をしてると、ずっとお祭りを味わってるみたいなことになっちゃうから。その有り難みも感じなくなってくるだろうし。僕は田舎に住んでてたまに街に出る方が、「街ええな」みたいな感じになるし、断然そっちの方がいいんじゃないかって思うけどね。
F そうですよね、そんなに飲みに行きたくないのに行ってしまってる時とか。あかんなあって(笑)。
O それは誘われて?
F 誘われてもありますけど、なぜか自分がまっすぐ帰るのがイヤみたいな感じですかね。
O わかる(笑)、あるある。それでなんか買ってしまったりとかね。あれって誰が考えたんやっていう凄い仕組みよね。
F 「まっすぐ帰るのイヤ、なんかイライラする」と思って、友達のご飯屋さんで一本だけ飲もうと思って行ったら、もう11時半になってたみたいな。でもニューヨークにいてた時は、意外と飲むところも日本ぐらいここまで多くないし、11時ぐらいには閉まるし、コンビニみたいなのも全然24時間オープンじゃないけど、なかったらないで全然いいんだって。
O この場所なんて一見めんどくさいんだけど、ここを選んだのはそういう時間に関してもテーマがあって。草刈ったりとか、果樹を植えたりといった環境を整えることも運動になるから。多少なり自分のスペースを良くしたりとか、果樹を育てたりするなかで運動することで、時間やお金の効率を良くしたいっていうのは実はすごい裏テーマとしてあって。都会だとジムに行くのにお金使ったりとか、ストレスが溜まったらその解消で何か買ったりだとか、会社に通うのに片道1時間かかるとか、そういった無駄やどうしても不健康になるリスクが色々ある。だから、そういうのを全部取っ払いたくて。奈良でもわりと家の近くに事務所は借りてたけど、その距離すら無くしたくて(笑)。いろんな無駄を無くしていったら、結構面白いんじゃないかなっていうのは裏テーマにあるかな。で、この場所が魅力的だったらいろんな人が来てくれるから。さすがに田舎でずっと自分の家族だけだと刺激は少ないけど、今日みたいにいろんな面白い人達が来てくれる状況になれば、全然その方がゆっくり話せるからね。まだ住んで2、3ヶ月やけど、これからの楽しみがまだまだあるね。
(2020年8月25日)
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○注釈
※1 graf(グラフ):大阪を拠点に、家具・空間・プロダクト・グラフィックのデザインから食、アートにわたって様々にクリエイティブな活動を展開している会社。置田さんと山本が働いていた。https://www.graf-d3.com/
※2 服部さん:服部滋樹さん。 graf代表、クリエイティブディレクター、1970年生。
※3 Gasbook(ガスブック):1996年に、日本のエーアンドピーコーディネータージャパン株式会社から創刊されたマガジン。様々なクリエイターを紹介するコンピレーション形式で、Macromedeiaのオーサリングソフト Directorを使用したCD-ROMマガジンとして創刊された。その後も形態を変化させながら、グラフィックアートを中心に、クリエイターを起用した書籍やTシャツ等をリリースするレーベルの総称になっている。
※4 フラッシュ:正式名称は「Adobe Flash(アドビ・フラッシュ)」。アドビシステムズが開発している動画やゲームなどを扱うための規格。元の開発会社はマクロメディアで旧称はMacromedia Flash(マクロメディア・フラッシュ)。2016年にAdobe Animateに名称を変更。本年2020年12月にAdobeがFlash Playerの開発と配布を終了する予定であると発表した。
※5 Whole earth catalog(ホールアースカタログ):1968年にスチュアート・ブランドによって創刊された雑誌。ヒッピー・コミュニティのための情報や商品を掲載。『宝島』や『POPEYE』などの日本のサブカル誌にも大きな影響を与えている。
※6 「Earth Day(アースデイ、別名:地球の日):地球環境について考える日として提案された記念日。4月22日がアースデイとして広く知られているほか、それ以外のアースデイも存在する。
※7 gm:2001年~2009年の間、graf独自の観点で運営されていた、ギャラリーやワークススペース、ショップスペース、ライブラリーなどを併設した“場としてのメディア”。草間彌生との家具企画制作「YAYOI KUSAMA Furniture by graf」(2002) 、奈良美智との合同企画展覧会『NARA YOSGHITOMO+graf A to Z展』(2006)等、多数の展示企画を行う。現在は、『gm projects』と名称を変え、ジャンルにとらわれず様々なプロジェクトを立ち上げている。
※8 志賀理江子:写真家。1980年生。
※9 天王寺:大阪府大阪市天王寺区南部と阿倍野区北部に広がる地域。
※10 elements:置田さんが井上真彦さん、横山道雄さんとともに行なっているプロジェクト。“ものづくりをするプロセスにおいて、私たちの周りに存在する様々な現象や要素を探求していくプロジェクトです。それは、私たちがこの世界とどのように関わってきたのかを解剖し、自分たちも世界のひとつのエレメントであることを実感する試みでもあります。(elementsウェブサイトより抜粋)”
http://elements-p.net/
※11 NOTA SHOP:滋賀県の信楽にあるお店。陶器を軸にライフスタイル全般のデザインから制作、販売を行なっている。加藤駿介さんと加藤佳世子さん、お2人のデザイナーが運営されている。
https://nota-and.com/
※12 豊嶋さん:豊嶋秀樹さん。1971年生。1998年graf設立に携わり、2009年より「gm projects」の メンバーとして活動。作品制作から空間構成、ワークショップ、イベ ント企画など、多彩な活動が注目を集める。奈良美智とともに 「Yoshitomo Nara + graf A to Z/弘前」を共同制作したほか、キュレーション等の様々な企画にも携わっている。
※13 横山さん:横山 道雄さん。1980年生。2005年 grafを経て、2014年 KUMA/ MICHIO YOKOYAMA DESIGN STUDIO設立。グラフィックデザイナーとして、菓子ブランドのコンセプトデザイン及びディレクション、和ろうそくやお米農家のパッケージデザイン、演劇の宣伝美術、装丁などを手掛ける。また、CHANCE MAKERによる‘Inspiring People & Projects’など様々なプロジェクトにも参加。置田さんとともにelementsのメンバーとして活動されている。
https://www.michioyokoyama.jp/