プロフィール

髙橋誠司あるいは一方でタカハシ ‘タカカーン’ セイジ
バンド活動が発端。アール・ブリュット、その創作過程との出会いから、イベント企画やパフォーマンス活動をスタートさせる。2014年頃「無職・イン・レジデンス」開始、美術展参加、演劇上演協力など表現形態を超えた活動が活発化。2015年「古屋の六斎念仏踊り」復活事業招聘、現在も継承のため参加。近年では「『芸術と福祉』をレクリエーションから編み直す」(助成:おおさか創造千島財団)を2017年に開始し、2019年の京都芸術センターでの発表、2020年「すごす/センター/家/AIR(略称:すごセン)」のオープンへと活動が展開している。 https://www.seijitakahashi.net/

インタビュアー

冬木 遼太郎 Ryotaro Fuyuki _ アーティスト https://ryotarofuyuki.tumblr.com/

山本 正大 Masahiro Yamamoto _ アートディレクター




タカカーンさんとはじめて会ったのは、昨年の春頃に此花にあるPORTという場所を訪れた時だった。その後はなんとなく展示の情報を聞いたり、Facebookで知り合いになって投稿を見るぐらいで、面と向かって話をする機会はこれまでなかった。(Facebookの情報で1984年生まれであることと、GRAPEVINE※1が好きだということは共通点だと知った。)

第一回目としてタカカーンさんに話を聞きたいと思ったのは、その活動や態度が気になったからである。現代美術という分野の中で個々のアーティストはそれぞれの目的や考えを持って制作や活動を行なっている。その中でも、僕自身は割とオーセンティックなタイプであると思う。美大に行き、彫刻を一応の出自としていて、ものを作り、展示を行う。

おそらく僕もタカハシ ‘タカカーン’ セイジという人も現代美術というフィールドで活動していることにはなるのだろう。そのフィールドにおいて彼が「場」を作ろうとしていることは何となくわかるが、その目的は他の作家とは結構違うような気がしている。なにが違うのだろうか。その部分が気になり、現在タカカーンさんが短期で入居している北加賀屋のSuper Studio Kitakagayaまで、山本正大と二人で話を聞きに行った。

(冬木遼太郎)

1. キャリアのはじまり

冬木(以下 F)すみません、今日は時間を取っていただいて。

タカハシ(以下 T)いえいえ。

F いきなりなんですけど僕、一昨日で36歳になって。で、僕と同じくらいの年齢で作品だけでご飯を食べてる作家さんって本当に少ないと思っていて。でもそういう形でなくても、ちゃんと活動している人はたくさんいてる。で、この現状に対してとりあえずみんな何かしら考えてるとは思うんです。このインタビューのシリーズをやろうと思ったのも、そういった作品の売買っていうかたち以外で何ができるんやろうっていう疑問とか、専業ではない作家の方が大半なら、むしろそっちの多様性の方が気になったんですよね。

T 今日インタビューされるなあと思って、自分のキャリアを思い出していたんですけど、米子さん※2とかFLOAT※3の周辺ってめちゃくちゃ面白い人たちがいっぱいいるのに、それこそみんなが表現活動から報酬を多くもらえているわけではないじゃないですか。お金をもらいたいとそれぞれが考えているかはわからないけれど、それだけじゃなく広い意味でも正当に評価されたらいいのになと思っていて、なら僕がその人たちを紹介しようと。その時はキュレーションっていう言葉も知らなかったんですけど。でも世の中って、なんて言ったらいいんですか、人を紹介という同じ行為にしても、権力がある人や有名な人が紹介すると全然違うじゃないですか。あ、これは自分が紹介者になってもあかんと。だからキャリアの最初は有名になろうと思ったんです(笑)。

F じゃあ、最初は紹介する側から美術というか、芸術に関係した活動をはじめたかんじですか?

T んー、そうですね、美術というかはわからないですが。その前からしていたバンドが活動のスタートでしたけど、バンド解散後に一人で活動する時にはそんな感じでした。

F バンドはいつ頃から?

T 2008年から4年くらいですかね。在学中からやっていました。それが米子さんとつながったきっかけではありますね。僕らのバンドの音源を聞いてくれた人が紹介してくれて。

F それはバンドのSjQ※4として、米子さんやアサダさん※5と知り合って…

T いや、アサダさんとはまた別で知り合って。たまたま同時期に米子さんとも知り合ったかたちです。「SHC」っていうイベントがFLOATであったんですよね。FMトランスミッターを使って、FLOATの外とかでみんながラジオの周波数を合わせて音楽を聴くイベントで。屋外にプロジェクションした映像を見ながら各々で音を聴いて、聴きたくなかったらイヤホン外してって。道ゆく人にしたら、音も聞こえないのに映像見ててみんな集まって、何してるの?っていうような状況をつくっていて。それに出たことが最初ですね。建物の外壁にプロジェクションしてたから道路からも見えるし、全くそのことを知らない人も場に入ってくる。そういった普通の生活と地続きなイベントに出会ったのが最初だったのもあって、人がどう生活してるのかっていうのが、ずっと気にはなっています。「生活とアート」とか言うつもりはないんですけど、そういうところからなんとなくスタートしましたね。

山本(以下 Y)それはさっき冬木さんが説明していた、どうやって生きていくかというか、アーティストとして生きていくかっていうこととも関係していくわけですよね?

T そうですね。キャリアのはじめは、暗中模索で。ギャラのみで生活できるのか、とか、ギャラをもらうにはどうするのか、とか。みんなどんな仕事してるんだろう? 兼業ミュージシャンの人を見てて、ヒゲが許される職場っていいな、そもそもヒゲがあまり生えないのだったな、と省みたり。

F 改めて説明させてもらうと、このインタビューは気になる人と話をするところから始めてみようか、というかなり漠然としたところからスタートしたんです。それこそバーズのメンバーの目的もモチベーションも全然違って。でもとりあえずやってみようってところからスタートして。この機会に気になっていた人に話を聞きに行けるのはいいことだし、ある意味でその人を紹介できることにもなるしって。本当にたくさんの人が美術やクリエイティブなことに携わったりしてる中で、そのいろんな人の「幅」みたいなものがちゃんと見えてきたら僕は嬉しいなと思っていて。で、その時にタカカーンさんは割と端の方にいてる感じだなっていうのを凄く思ったんです。例えばフェイスブックでタカカーンさんの投稿とか見ていても、別に何か作っているわけでもない。どうやら場づくりのようなことはしているけど、それをあらためてソーシャリーエンゲージドアートや関係性の美学うんぬんで単純にまとめてしまうのはなんか的外れだし。っていう時に、改めて話を聞きたいと思った感じです。

Y 僕も、いま冬木さんの話を聞いててもやっぱりそうだなって思ったのが、どうやって作家やクリエイターが生活しているのかもなんですけど、なんかその、生活するために自分の作品を売れるものに寄せて作るとか、そもそも売れるものを作る人はもちろんいるわけですね。ただ、それが本当にやりたかったことかどうかも、やっぱり僕はその人に聞いてみたいんですよね。で、タカカーンさんはどっちかと言うと売れるためではなくて、生活していくための方法論ではなく本当に自分がやりたいことをやっている。 

T まあそんなにピュアじゃないですけどね(笑)。

F でも、お金を得れるとしても目先の作品が売れるとかいう話ではなくて、タカカーンさんの考えている手段や方法が出来上がってくるのはもっと先でしょう?

T 得れるかなあ…でもまあ、自分のやっていることがソーシャリーエンゲージドアートとか言われたら、ラッキーやなあとか思いますね。もはやこの歳ですからね(笑)。指摘されたら「ああ、そうです」とか言って。

Y そこはうまいこと使うんですね(笑)。

2. カテゴライズする / されること

T アール・ブリュット※6というか、主に知的障害がある人たちの創作支援に関わったのが最初だったんです。で、アール・ブリュットって日本では障害者のアートって捉えられがちですけど、僕もアウトサイダーのアートをやってる人って言われたいと思ってるんですよね。いわゆるアウトサイダーアーティストって言われた方が、作家としての見られ方がカウンター効いてると思うんです。実はインサイダーの方が辛かったりするじゃないですか。アウトサイダーアーティストの人自身が望んだ通りに展覧会は組んでくれないかもしれないけど、それこそ紹介や評価についての文章も誰かが書いてくれるし。ある意味、最強の状態じゃないですか。それこそ美術の、インサイダーのアーティストが、最もやってほしいことをやられてるわけじゃないですか。公的なお金が使われたり、サポートがあったり、勝手に作品が広がっていくし。

F 僕はアール・ブリュットにすごく詳しいわけじゃないんですけど、アウトサイダーアーティストって言われる中にいる人たちが描いてる絵とかは、本人が展示したいとか他の人に見せたいっていう意思をもう離れてるようなところも感じるんですけど、一概にそうではないんですか?

T 自分がよくふれあう知的障害のある方に話を限定してしまいますが、そこを持っている人もいますね。展覧会に出展されることで周りのその方への関わりがよりポジティブなものになったり、自身の作品が飾られた展覧会でそこの人に歓待された経験からモチベーションに転じているのかなという作家と触れ合ったことがあります。一緒に展覧会を観に行くこともありました。

F そのへんの意識を持っている度合いは個人差というか、グラディエーション状ですか?

T グラディエーション状ですね。でもそれはまあ、インサイドの人にも言えることだとは思うんですけど、作ってる人の中で誰に見せるわけでもない人もいれば、めちゃくちゃ展覧会やりたい人もいるだろうし。ただその、展示方法などの細部については障害がある方々の思った通りに展覧会が実現しているのかについて厳密にわからないですけど。

F でも、アウトサイダーに入れてほしいって言ってる人はもう自覚してるから無理ですよね。

T ある定義上は“正規の美術教育を受けてない人”っていうことですから、入れるはずなんですけどね。

F 定義はそうなんですね。

T 一応そうですね。色々ありますけど、主にはそういうことですよね。

F でもそれこそタカカーンさんの作品って、申し訳ないんですけど僕はまだ実物を見たことがなくって。でも山本くんはこの前ここに来たんよね?「すわる」っていうイベントの時に。

Y もう、このままの状態やったよ(笑)。

F 物理的に椅子を解体してなんか作り出そうと再構築するっていう作業の手前に、椅子の座り心地とかを確かめるんじゃなかったっけ?

T 「すわる」はそんな感じでしたね。僕は技術はないから、いざとなったら再構築できるかもわからないから。スタジオは短期で借りていて、それこそ自主レジデンス気分なのですが、とりあえずせっかくなのでなんかやってる感じを…(笑)。ただ解体してしまったら元には戻らないから、この状態を共有したいなみたいなことが発端です。

Y 僕はそこが面白いなって。だってスタジオに来たら、いきなり「好きなイスに座ってみてください」って言われてスタートして、今から何の話をするかとかも一切説明ないねんで(笑)。

F だから、タカカーンさんの場づくりに必要なのはなんというか、ある目標を提示したら、それについて話したりする場ができるわけですよね。今回の場合は「解体して理想の椅子をつくる」っていう。もしかしたら再構築して本当に作るかも知れないけど、とりあえずその到達点の手前に集めた椅子があると座ってみたり、座り心地とか理想の椅子の話をする場ができる。だから椅子を選んだんだなあと思って。

T …どうかな(笑)。

一同 (笑)。

T もともとスペースを作るために京都に引っ越す予定だったんです。でもコロナでその予定が延びてしまって。浜松の「たけし文化センター」内にあるシェアハウスに長期レジデンスしていたので家賃もったいないなと。年始早々にはすでに借家を引き払って実家に荷物も置いていたからこうなってしまい、そのまま実家で半年暮らすことになってしまった。久しぶりの母との暮らしは、ありがたくご飯がおいしかったりしたものの、特に身近にいる母や祖母の感染リスクを考えるとどんどん出歩けなくなってきて、やばいこれしんどいと思って。タイミングよくこの北加賀屋のスタジオを借りられたので、それで何しよう、みたいな話なんですよね。あと、このあいだに文化庁の助成金をもらおうかなと思って全体概要考えてる時に、椅子って木材でできていることが多いから、接ぎ木、大阪と京都を接ぎ木、、コロナを経ての、こう、なんか、みたいな(笑)。

Y タカカーンさんの中での製図はあって、色々経た上での椅子なんやろうな(笑)。

T いや、でも美術の中で最近ハラスメントの問題ポロポロ聞きますけど、男の子同士とかのマウンティングはきついなと長らく思っていて。僕は結構ハラスメントに敏感なんですよね、最初務めた会社で結構パワハラにあったから。一般大学の商学部を出て、普通に営業職でした。

Y 営業職やったんですか!

T その頃にFLOATに出会って、米子さんに会ったばっかりのときに「一緒にレギュラーイベントしましょう」とか急に言われて。何も知らないんですよ、僕のこと(笑)。僕も知らないし。それで「やってみたかったことをやってみるための時間」っていうのを、3、4年ぐらい毎月一回朝からやったんですね。自分のアイデアの出し方としては、その後の活動もほぼそれを焼き回してる感覚に近いですね、振り返ると。

Y そのときに月に一度何か企画を作って…?

T 最初は米子さんと僕ともう2人メンバーがいたんですけど、それぞれ出自もジャンルも違うからやりたいと思っていたことをやりたくて。まあいわゆるセッションが最初に浮かんだんでやってみたんですけど、それも違うなあって米子さんが言い出して。もっと既成の表現とかじゃないような、ちょっとしたやってみたかったことってあるじゃないですか。それこそ人前で朗読するのを聞いてほしいとか、告白したことないから告白の演技をしてみたりとか。その時はまだ並行して音楽もしてたんですけど、そういうことをやり出してから、こういうのもありなんだって。

Y 表現の仕方としてですか?

T 音楽をやってると、音楽のことばっかり考えてるように思えて。しかもまあ音楽と美術って今ほどつながりなかったから。米子さんやアサダさんとかはSjQとかやってたんで、そのあたりもつながってるのかもしれないですけど。

やってみたかったことをやってみるための時間 (旧フロリズム:参加者のアイデアにより、
音楽・ダンス・絵画など表現の形態を問わず行うセッション/演奏の会 2014

F ちなみに、バーズのメンバーのはがさんは、タカカーンさんの活動はアサダさんとのつながりが最初というか、入りだったのかなあ、とは言ってたね。

Y そうだね。

T アサダさんの中ではどれもつながってるんでしょうけど、アサダさんは全部音楽だって言って全然違うこともやっていて、それも救いになりましたね。自分がバンド解散した後に知り合ったから、あーこういうのもいいんだって。アサダさんに紹介されて障害福祉の世界にも入ったんですよ。

F そうなんですね。

T 公務員受験の試験勉強に恋にかまけて身が入らず、公務員に似たようなものとしてNPOというのがあるらしいぞという希望を抱いて…つまり就職先を探していて、アサダさんが関係されていたあるアートNPOに相談して、そこでアサダさんとも初めて会ったんですけど「そういう就職斡旋はしてないんです」って言われて。でも後日個人的に連絡がきて、「遠いけど滋賀県の近江八幡に仕事あるよ」って。それが、いわゆる障害のある人たちが中心となる音楽祭の事務局やったんですけど、「音楽やってるとこういう世界とも繋がるんだ」って思って。ほんまにそういうとこですね。アサダさんと米子さん、SJQ様々っていう。運転とかしました、ツアー行く時(笑)。

一同 (笑)。

T 本当にあの二人、ナチュラルに振り切れてる人たちだから。ポッドキャストでラジオやってたんですよ、あの二人。めちゃくちゃ面白いんで聴いてみてください。

F そうなんですね、今も聴けるんですか?

T いまも聴けます。iTunesにありますよ。※7

3. 価値づけについて

F この形式張った感じで聞くのは少し嫌なんですけど、そういうアサダさんとの関係で就いた仕事から、福祉っていう要素は考える対象や作品に入ってきた感じですか? 今も福祉はタカカーンさんの作品に関係してますよね。

T そうですね、うーん…

F でもいま言う手前で、なんかすごいインタビュアー臭いと思って。簡単につなげるのがすごい嫌な気もしたんですけど..

Y わかるわかる。

T まあ話のガイドだからいいんじゃないんですかね。

F いますごい嫌やったな…でもなんていうか、さっきの男の子同士のマウンティングが嫌だっていうのも、タカカーンさんが思ってる福祉も多分つながってて。誰がルールを決めて、誰がそこに入れて、逆に誰が入れないのかみたいな。なんか、もうちょっと漠然とした上でのみんなでの決め事とかに関係する気はしてて。

T そうですね。

F で、いまやられていることも括りというか、そこに関係したなにかはあるのかなと。

T 「『芸術と福祉』をレクリエーションから編み直す」プロジェクトとかもしましたからね。敢えてそういう名目を出したのは、千島財団の助成申請をするにあたって、思い切って大風呂敷広げてみようと思ったからなんですけど。美術は違うかもしれないけど、もともと福祉とアートはまあ同じことだと思っていて。福祉と芸術文化はほぼ一緒というか、どちらも人の尊厳を扱うじゃないですか。

「芸術と福祉」をレクリエーションから編み直すプロジェクト『集落の「中の人」はどう見たのか、方言を習うことについて』2018

T ちょうどよかったんですよね。福祉の話に戻ると、音楽っていうスキルを活かす時に「音楽祭の裏方してよ」って言われて、現場ではないですけどそれが実は福祉で、知的障害のある人と触れ合う仕事だったんですよね。だから、偏見がなかったと言い切っていいのか。もともと偏見を抱く経験すらなかったけど、いわゆるなんというか、その人たちをかわいそうとも思わなかったし、なんか怖いとも思わなかったのを確認した。大人になったら障害のある人と普段こんなに出会わないんもんなのかと思いました。その現場やと出会いすぎるから、むちゃくちゃいるやんって。彼らそれぞれの凄みに圧倒されっぱなしでした。

Y いるところに行かないと障害者の人たちには出会わないってことですか?

T そうですね。もちろん街にいらっしゃいますが、出会えてはいない。しっかりと必要な目的のためにアール・ブリュットを推進している団体だったんですけど、それにもまた一方で僕は違和感を感じて。ようは絵を描ける人とか作品をつくれる人だけを推進してしまう恐れがうまれるのではないかというか。簡単に言ったら、障害者ってこういう絵が描けてすごいよねってことになってしまう。ポストコロニアリズム※8じゃないけど、なんかこう、一方的に上から価値を与えてるんじゃないかな、みたいな気持ちもしたんです。で、実際その後も作業所でアトリエ活動の支援スタッフをやっていて、現場はそんな風じゃなかったけど、視察とか行政が来ると「私たちも障害のある人の施設をやってるんですけど、どうやったら絵を描けるようになりますか」とかって言われるんですよね。

F はい。

T いや、そんなんじゃないよみたいな。僕がいた作業所も20年くらいかかって色々な積み重ねや発見があってこうなってる。ある程度、美術をやろうとは思っているけど描けない人を排除してきたわけじゃないし。そんな人たちに声かけてみて、実際にやって、偶然描くことにはまったりするわけですよね。で、結構面白い作品が生まれてきて、まあ展覧会してみよっか、みたいな。そんな感じだったから今があるのに、インスタントにそれを目指してしまう後追いの人たちが生まれてきた時に、どうやったら絵が描けるかっていうシンプルな問題になってしまうと、描けなかったら不本意なわけでしょ?なんでよ、みたいな。障害のある人たちが絵を描くこと自体が、なんか教育的になっちゃって、すげー暴力やなって感じて。悪気なく言ってるからマジで怖いって思ったんですよね。それと実際に作業所で絵が売れたりとかすると、入ってくるお金やそもそもの出展料とかっていうのも、作業工賃から考えたらすごい額なんですよね。もう桁が違うんですよ、2桁くらい。そうなってくるとまた現場で不公平感が生まれたりとかして。僕がいたところは、最初はお母さんの会とかが発足で何十年前にできた作業所だったんです。だから、絵が売れた人のお母さんも、急にこんなお金もらっていいんかなと感じたり、全部寄付しちゃったりとか、もらえませんっていう反応だったりする。絵なんか描かせないでもっと作業だけさせてください、みたいな場面もあるし。あらためてお金って怖いなって。大学は商学部出身なんですけど(笑)。
 
F ちょっと整理すると、要は絵が売れてお金っていうかたちになったり、描いたものが価値づけられてきた時に、それはそれで作業所の中で普通にされてる作業との差とか、描く人と描かない人との差とか、あるいはやっかみとか、色んな差がその新しい価値によって生まれてきてしまうみたいな。

T そうですね。何かが価値化する時って、やっぱりその日陰になることもあるだろうし、もしかしたらそこへの配慮のことをソーシャリーエンゲージドアートって言えばいいのにって思ってるんですけど。結構みんな価値化のことばっかりに血眼になっていて、不具合に気づきにくいんですよね。救われる人が一人でも多くなってるっていうのは、そうかもしれないけど。(絵を)描けない人の価値がそのままやったらいいんですよ、描ける人が評価されても。でも下がるんですよね。

F より下がる。

T そう。それはちょっと…別のところでその人は救われてるかもしれないけど、でもこうなってることもあるっていうのを思ってほしいし、美術も芸術もそうだけど、ようは一番健全な業界の状態って、面白くない人もいれないといけないんですよ。

F そう思いますよ。

Tそもそもおもしろいって誰が決めてるねんって話だけど、50歳の新人を正当に評価できたらその業界は健全だと思います。いわゆる将棋界とか、文学とか。やっぱりちょっとね、美術は青田買いが過ぎるというか。大学の美術教育と連結し過ぎてるのかもしれないですけど、ちょっとヒーローを探し過ぎてるし、過度に消費的やなとは思いますね。本当はおもしろくなくても続けれるとか、お金を得れたりもするのが健全だと。言いたいことはそれに尽きるんですけど。

Y うん。

T 自分の活動はそれを体現しようとしているというか、ちょっと美しく言うとそんな感じですね。「お前何も作ってへんやん」という声に対して、じゃあ作るってなによとか。1つのジャンルを価値化することに必死になり過ぎて、その他に対する配慮がなくなってるんじゃないかなとか。いまの助成金にしても、舞台できなきゃ死んじゃうから舞台関係者に金くれって言ってても、どこかで牌は限られてるから。じゃあそれ以外のアーティストは死んでいいの?っていう。大袈裟ですね…

Y その条件に入らないって言うなら、そもそものその条件って何やねん、みたいな。

T 生きてる人って評価しにくいんですよ。で、作品と作家が別のものだっていうのは死んでからのことなんですよね。そういう意味で本当に批評できている人は少ないと思うから。やっぱり生きてる人の生き様も評価に関係してくるんですよね。だから変な話、逆算してそうしてるわけじゃないけど、サバイブするには友達多いほうがいいと僕は思ってますね。

Y それはたくさんの人が自分に対して、いろんな価値観をちゃんと持ってくれるからですか?

T それもありますし、それこそ本当にコネ。もちろん仕事はくるし。良し悪しですけどね。媚びる必要はないけど、悲しいかなそれはないって言うと嘘になりますね。

4. 超民主主義な公園

F やっぱり今日お話を聞く前から思っていたのは、参入できる人と排除される人がいるっていうところに敏感というか、そこにタカカーンさんは意識を持ってるんだろうなっていうのは、何となく感じていたことですね。僕もそこまで詳しい訳じゃないんですけど、フェミニズムに関する議論で一番ベストな状態って、活性化された議論が行われてる状態こそが望ましい、というのがあって。完全な解決なんてしないし、それこそ解決しちゃダメみたいな。で、一番良い状態っていうのは自由に個々人が発言している状態がずっと起きてることで、それこそが良い。だから結論が訪れないみたいなのがいいっていう話で。

T わかりますわかります。

F だから、僕がタカカーンさんの「すわる」に行った話を山本くんから聞いた時に、彼が「いや、別にタカカーンさんが作り出す様子もないねん。作るかも知らへんけど、とりあえず何も始まらへんねん」って言っていて、僕は「いや絶対そうでしょ」と思って。フェミニズムの議論が志向するような活性化した議論の持続じゃないですけど、僕はタカカーンさんがそれに近い場を考えてはるのかな、と思っていて。

T そうやと思います。

F もちろん指針というか目指すべきものは提示しつつも、みんなで座って、何となく話が始まって..っていう状態のために「椅子作ります」って言ってるんじゃないかなと。

T そうですね、みんなでああだこうだ言うのは大事だと思いますね。そうやなあ..最近振り返ることが多いから死んでしまうんかなとたまに思うんですけど(笑)、「超民主主義な公園」をつくれたらいいな、という活動当初からのイメージはありました。それが本当に可能なのかっていうのは考えてましたね。

F それはみんなが自由に使えるっていう?

T 真っさらなのかわからないですけどまず場所があって、遊具ひとつ置くのにこれがベストっていう話をしたら、最後まで置けないんですけど。

Y でも意外と今の話を聞いたら、僕は去年冬木くんがやった「突然の風景」※9の態度は、民主主義というか..

F いやー、あれは僕が決めてるよ(笑)。

Y 来た人たちの現場での態度は民主的やったと思ったよ。

F あれはその、同じ経験を持ってることが話し合いのはじまりには必要なんじゃないかなって思って。いろんなそれぞれの人の経験の円があるなかで、まず同じ経験をしてるところがあるから、話し合いが可能になるはずなんじゃないかなと思ったんです。だからまず共通の経験を作ろうっていうのと、やっぱりああいう運動場とかグラウンドのところに、雑然と車が集まってるのって、津波の後とかにニュース映像で見る感じやと思うんです。でも、あの作品を経験してたらもし本当に地震や津波が来たとき、ちょっと違うと思うんです。それは、そういった結構しんどい急に訪れた危機みたいな時でも、周りと関係したり協力したり、気持ちの持ち直しが早い気がするんです。だから、そのもしかしたらの未来のためになる心の予行演習というか。

Y 1回経験しているからね。この景色って見たことあるっていうのだけでも人ってある程度安心する。

F そう。っていうのが実はあの作品でやりたかったことで。

T ウェブとかを通してわかったような気になりますよね、現在って。あれは多分行かないとわからないやろなあ…めちゃ暑かったし。覚えてるもん。

Y 暑かったですよね。でもそれもよかった。

T そうね。より記憶に残ると思うなあ。

Y だって、今年の暑さも去年のあの日より断然マシやわって思うもん(笑)。下が砂だから照り返しあるし。

T グラウンドって行かないもんね、大人になると。

F 発表は全部で3回やったんですけど、タカカーンさんが来てくれたのは確か1回目やったと思います。でも、1回目が終わったあとが一番よくって。1回目の終わったあとに「え、終わり?」みたいな場の空気になった。そこにいた人みんなが一瞬「ん?」みたいな感じになったんです。

Y そうそう。

F けど2回目3回目って、やっぱり知ってる人がすぐ拍手しちゃうかんじで。

T あー何回も見てる人がいるわけね。

F そうなんです。だからどう考えても1回目が良かったんです。誰も場を先導する人がいない状態みたいになって。

Y 謎の幸せな空間がね、できちゃってるっていう(笑)。

F 誰も先導しないと、集団ってこういうことになるんやっていう(笑)。あれは思ってもみなかった瞬間で、全然予想してなくて。

Y そういう意味では冬木くんが考えている指針はあるけれども、タカカーンさんが言ってた「超民主主義の公園」っていう、そこに来た人たちそれぞれが何を考えるのかみたいな状況になる作品やったなって。冬木くんの場合はもちろん物はあるけど、みんなが考えるっていうことはちゃんとできてたかなっていう。

T そうやろうねえ…色々なことが「なんでそうなってるんだっけ」っていうのはなんか常に気になるんですよね。めちゃくちゃルール多いじゃないですか、現在って。まあ制度が多いんですけど。多分みんな今回のコロナで奨励金もらったりとか、支援を受けるみたいな時に意識したと思うんですよね、制度の使い所っていうか、制度って使わなきゃって。でも僕らが社会に生きるときに、そもそも制度がむちゃくちゃ多いことは望んでいた訳ではないじゃないですか。かといって、それをどう使っていくかっていう話は一切教えてもらってないし。

F うん。

T なんというか、それを捉え直すことができるきっかけが欲しかったんですよね、その「超民主主義の公園」って。だから公共の空間っていうけど、ようは「公共」って一人一人が責任を持っている状態じゃないですか。でもなんか行政がやってくれるものみたいなかんじになってる。そうじゃなくてちょっとしたことも、例えば道の1つとってみても、そこに住む人たちの何かが現れるというか…

Y 意見があった方が、健全。

T 道をもう少し太くしたらいいんちゃうか、みたいな話もそうだし。あれはウチの爺さんがな、みたいな話とかでもいいし。まあ自治的な話ですよね。

5. 行政とアートプロジェクト

T 実はそれこそ、冬木さんがやった次の年度に茨木にプランを出してたんですけど※11、ダメでした。基本的には審査とかすごい苦手なんですよね。

Y 今となってはこの話も含めてタカカーンさんのやろうとしてたことはすごくわかります。まあアートプロジェクトとかって、プロジェクトを作る時点で既に方針とかコンセプトっていうか、そのアートプロジェクトをどうしたいかっていうことの土台がまず一個あって、そこにまた次は審査員っていう土台が乗る。土台の上に土台を乗っけていってるイメージなんですよね。でも、こっちでいうアートプロジェクト自体がやりたい方針の土台と、作家がやりたいことの土台っていうのは、本来はどっちがどっちにも乗せれないわけですね。アートプロジェクトの方の話を一番大切にするのか、それとも作家がやりたい作品の話を一番大切にするのかっていう大切なことが2つあるなかで、一番大切にするべき話っていうのをどちらにするかっていうことを決めるのは難しい。でもアートプロジェクト側の話に、だいたい作家は合わせてくれるわけやん。

F 要はアートプロジェクトっていう仕組みがある中に、どう作家は自分のやりたいことを落とし込んでいくかっていう順序になってる。

Y そう。けど、僕は本来作家がやりたかったことを純粋につくれた方が、言いたいことは伝わりやすいと思ってるんですよ。

T アートプロジェクトもきっともともとはそうでしたもんね。

Y だから、そういう意味でアートプロジェクトには色んな要素が乗っかりすぎる傾向もある。だから例えば、タカカーンさんのやりたいことっていうのは、まずタカカーンさんのやりたいことのルールをアートプロジェクト側も審査員もある程度わかってないと、通しにくいというか。

F なんか、どんなん出したんですか?

T めちゃめちゃラフに書いたんですけど、去年に芸セン※12で展示があった時に、すごすための場所みたいなものとして「仮説の施設をつくる」っていうのをやったんですね。見るべきものも何もないし、すごせって言われてもっていう状態なんですけど、まあフラットな場所をつくるみたいなことをやったんです。で、それをたまたま台湾人の建築の先生が見に来て、一緒にやりたいと言われて。いやお金とかいるんちゃうの?って言うと、向こうは「いいよいいよ」とか言うけど、なんか申し訳ないから、ちょうどHUB-IBARAKIがあるし出そうと思って。出して落ちた情報は未だに全く伝えられてないんですけど(苦笑)。チャンスを持ってます。

Y いま話してくださった、市民の話を一回ちゃんと聞いてみましょうっていう、まあ大まかにいうとそういうコンセプトのものだったんだけど、やっぱり、審査員とか、状況やよね。アートに対する目線の状況もあるなかで、そういうのをたぶん、しっかりやりたいってなった時にどうやれば、提案から実施までできるのか。そこまで考えると正規ルート、いままでの話の流れならアートプロジェクトに応募するって方法以外で考えたほうができるかもしれないと思っちゃう。

京都レクリエーションセンター~施設のための試演~ 2020 撮影:守屋友樹

F なんかこう、そういったタカカーンさんの作りたい場って、色んな違いがある人が話をできたりとか、一緒にいれる場づくりだからもちろん意見の違いが絶対あって、それも含めてタカカーンさんはオッケーにしてるじゃないですか。

T もちろんもちろん。

F でも別に茨木だけじゃなくって、ほとんどのアートプロジェクトとかビエンナーレとかってお祭り側じゃないですか。普段はみんな通常の生活があって、普通に仕事をしていて。で、それに対するお祭りとか祝祭みたいなものとしてあるから、みんなが楽しい空気や同じものを共有できるみたいなかたちが行政が提供して欲しいものの前提にあるけど、でもタカカーンさんのやりたいことって「みんな違うよね」じゃないですか。考え方の差異の見える化というか。だからこそ僕は茨木にはそんな試みの方をしてほしいなって。

T なるほどねえ…なんかいま公共って誰にも文句を言われない状態をつくるってかんじになってるけど、それは公共じゃないですよね。

Y まあだから、いま言ってた公園とか公共って言ってるけど、結局、意見を募って作るってるのではなく、誰か公園を作れる人の意見で作られている。公園の周りに住む人の意見がない公園に対して公共である。っていうことが普通におきてるんやなって思って。

T そうですねえ…それと、僕のしている話もデカすぎるんですけど、「アートと社会」って言い過ぎたツケがいま回ってきてるなとは思っていて。それは企業メセナとか、個人からスポンサーとしてお金もらってる時期と、次にもう不景気になってしまって行政がほとんど全部のアートに対するスポンサーというか基盤になってしまった時に、やっぱり行政の他の役割と同じように説明しようとしてしまったっていうか、行政そのものがそうなってしまったというか。アートが誰しもが楽しめるものとか、意味のわかるものとかっていう共通の認識になってきたんですよね。

F うん。

T それはそれでひとつの発展かもしれないですけど、なんか、もうちょっとアートって普遍的なものだとは思うんですよね。まあ病理じゃないし、自分の分身っていうのも気持ち悪いですけど。知的障害のある人たちが作品をつくるところを見てると思うというか、マジでその選択しか有り得へんねんなっていうものが出来てくる時とか、20年かけて微妙に色使いが変わっていってるのを発見した時とかに「うわー!」ってなるんですよね、ゾクゾクくるっていうか。人の一生って取るに足らないものかもしれないけど、ものすごい濃密なものかもしれないみたいなことを感じる。なんかそういうところをもうちょっと強調しててもいいんじゃないかなって思うんですよね、アートって。別に美談にするつもりはなくて。もっとドロドロしたものだとは思うんですけど、結構いまは様式美っぽくなってきているというか、さっきの話じゃないですけどアートプロジェクト然としたものとか、見栄えや建前としてそれらをつくるのは大事かもしれないけど、あまりにそっちに傾くと虚勢されたみたいな感じがするし。

Y そうですね。

T 僕は社会とかパブリックって言ってやってるけど、ものを作れない人が参照してくれたらいいな、とはちょっと思ってます。自分は音楽とかやってきたけど、無理にそこで秀でなくともというか。最初は自分のやっていることを、人を食ったような表現と思ってワザとやってる部分もあったんですよね。作ってる人を小馬鹿にしてる時期もあったんですよ(苦笑)。なんか作ることばっかりを考えてるのって、作れない恐怖に襲われてるのか、なんで作ってるの?っていうことも含めて、作ってしまってる人をちょっとバカにしてたんですよね。それらしいものとかトレンディーなものを作ってるのを見てて、もしその人より活躍できたら、こういうこともありと言えるんじゃないかなって最初は思ってました。20代は若いから攻撃的でしたし、権威的な人にだいぶ怒ってましたしね(笑)。

6. お金を稼ぐことについて

F でも、そんなことを思いつつも、そもそも僕もタカカーンさんも絶対に作品だけで食べていこう、みたいなことはあんまり思ってないと思うんですよ。

T そうですね。

F 僕はなんかそっちの方が生産性のある話ができる気がしてるんです。それこそ、タカカーンさんが福祉に関係したりとか。ようは数%ぐらいのアーティストしか作品で自活できてない今の状況があって、それ以外の方には大多数がいる。まあ作品だけで食べていくっていう人はそれはそれでいいとは思うんですけど、別に作品で収入を得ることだけを無理に目指して少ない牌を奪い合うより、そっち側の作品では自活できてない人がどうしてるかの方が絶対に多様性とか考え方の違いが複雑にあるんだから、そういう話をした方がいいと思うんですよね。

T もちろん。

F そういうのがこのバーズの目的の1つで。だから、アーティストのあり方や生きていき方も変わっていくんちゃうかなと思っていて。で、そういうことも見える化させていきたいというのも実は思ってるんですよね。

T 確かによくありますよね、美大出てなんとなく仕事あるんちゃうかなと学生に思わせて、ないみたいな。

F あれ本当によくないですね(笑)。

T 最近ちょっと整理して考えてたんですよね。学問で美術って、簡単に言ったら美学じゃないですか。あるいは美術史とかね。そこが学問で、そういった学問で食べていけるのって学者だけじゃないですか。でも、アートってものを作ることができるから、その副産物から画商とかマーケットがあって。それがすごい何億とかになってるから、いけそうな気がするが、普通食えなくて当たり前じゃないですか。ようは文化人類学で食えるのって話じゃないですか。好きにフィールドワークしてて食えるのかって言ったら食われへんし。そこが混ざってるから話がややこしくて、どっちの話をしてるんだろうと思うんですよね。学問を研究してるのか、商品を作っているのか。混ざっちゃったらしょうがない話やとは思うんですけど。
それとご存知と思うんですけど、資本主義がなんでもお金になるって言ってるけど、実際僕らは依頼が来たらいっぱいものごとを考えて、シャドウワークじゃないですけどむちゃくちゃ動いてるのに、それが全然一切お金に変わってないわけじゃないですか。それには良さもあるかもしれませんが、悪さもあるわけですよね。それについても思うところはあるし。さっき言ったなかではアーティストは好きなことしてるから、好きだからいいでしょみたいなのにもつながりやすい。でも、名前出る以上は適当な仕事はできないわけですよね。結局最後にフィーが少なくてごめんなさいって言われても、やっちゃうじゃないですか。何千円しかないけどって言われても真剣にやるやろうし。

F なんか、山本くんと一緒にいることがこの2年くらい多いんですけど、この人がいいのはそのへんをもう割り切っているというか..

T 割り切ってる?

F この人ちゃんと稼ぐんですよ。

T すごいなあ(笑)。

F もともと一番最初はグラフ(graf※13)やったっけ?

Y うん、グラフで。そっからほぼ独学やったけど独立して。まあでもそこから色んな人とか企業との繋がりのおかげで。

T 知らない世界だ(笑)。

F 僕も全然です(笑)。

Y さっき冬木くんが言ってたような、生きることと作りたいことというか、生きるためにやらないといけないことと考えて生産したいことを一緒にしちゃうと、純粋に考えることを占領し出すというか、それに介入しだす感じがあると、やりたいことがやりづらくなるんちゃうかなと思ってて。売らないといけないってなったらニーズにちょっと合わせにいかないといけないとか、そういうことが出だすと、東京のエンタメ性の強いアートシーンみたいなことになると思っていて。大変だろうけど、意外と分けてやった方が、純粋にすごくいいものっていうのが生まれるっていう可能性はあるんかなっていう。

T そうですね…以前、戦争画家ってなんで生まれたんやろうってある人に質問したら、知らず知らずに描いていて、そもそも褒められなかった画家が急に褒められてきて、周りに乗せられていった結果それを描いてしまってて。で、振り返って自分だけが悪いことになってるみたいな。そうじゃなくて、乗せた人がいるんだよっていう。買う人がいたんですよね、だから。

Y そうそう。

T だから、僕も言われましたよ。福祉の仕事をしているときに、自分はアーティストと思ってなかったし作品とも思ってなかったけど、やってることに対して「作品なの?」ってめっちゃ言われ続けて。無職・イン・レジデンスの最初のレジデンスをやった時に、武田力っていう演出家と出会ったんですけど、最初はヤな奴やって(笑)。「アーティストは一本でやってなんぼや」みたいな。自分では、よくないんかなあってずっと思って劣等感を感じてたんですけど。ある瞬間にこれはダメだと思って。そんなにハートが強いわけじゃないからその状態になると思ったんです。お金を稼ぐためのものを最優先にしだすと思ったし、それしかしなくなると思ったんです。それが美しいわけじゃないけど、向き不向きだなと思いますね。

〈無職・イン・レジデンス〉のリーフレット 2015

Y ほんとにそれが向いてる人はやってもいいんですけど、生きるためというか社会を回すための話が多くなっている作品とかシーンに関しては、その話をちゃんとして欲しい。だから美大で青色申告教えてくれないのと一緒というか。

T 教えてくれないだろうね(笑)。

Y それをふわっとさせた状態で、それがまるで最高峰なんだよ、みたいな見せ方しよるわけじゃないですか。いや、社会を回したいからやってんだよっていうのをちゃんと言ってくれないと困るなとは最近思ってるんですけども。

T ほんとに色々早めに知りたかったね、憲法の話も。なんで小学校で学ばへんねやろう。

Y この歳になってやっと距離感がわかってくるというか。

T そうなんですよ、やっとなんですよね。今まで何やったんやろうって思うぐらいで。

(2020年8月12日)

○注釈

※1 GRAPEVINE(グレイプバイン):1993年に大阪で結成されたバンド。タカカーンさんは頻繁にライブにも行っているそう。

※2 米子さん:米子匡司さん。音楽家。トロンボーン、ピアノ奏者。プログラマー。元SjQのメンバー。此花で複合建物「PORT」や「FLOAT」を運営されている。冬木も作品を技術面で手伝ってもらったり、相談させてもらったことがある方。

※3 FLOAT:此花にある米子さんが運営されていた住居兼オープンスペース。

※4 SjQ:サムライジャズカルテット。以前に米子さんとアサダさんが所属していたバンド。

※5 アール・ブリュット:既存の美術や文化潮流とは異なる文脈によって制作された芸術、あるいはその作品。フランスの画家ジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet 1901-1985)によって考案された。文中でタカカーンさんが話しているように、以前は障害者の芸術という意味合いが強かったが、その定義自体は変遷し、現在は美術教育を受けていない人による表現を指す場合が多い。

※6 アサダさん:アサダワタルさん。1979年大阪生まれ、東京都⇄新潟県在住。
文化活動家 / アーティスト、文筆家、社会福祉法人愛成会品川地域連携推進室コミュニティアートディレクター。
 
※7 米子さんとアサダさんのラジオ:「スキマ芸術」http://sukima.chochopin.net

※8 ポストコロニアリズム:西欧中心主義や植民地主義に対する反省的な視点、考え方。それ自体もまた西欧的な観点からの価値づけ方であるという批判もある。

※9 突然の風:大阪府茨木市主催のアートプログラム、HUB-IBARAKI ART PROJECTにて2019年に冬木が発表した作品。5月26日が発表日だったがものすごく暑かった。タカカーンさんも見に来てくれていた。https://ryotarofuyuki.tumblr.com/post/186622894888/%E7%AA%81%E7%84%B6%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF-sudden-view-2019-car-car-horn

※10 HUB-IBARAKI ART PROJECT:大阪府茨木市で実施する「継続的なアート事業によるまちづくり」を目的にしたアートプロジェクト。山本は7年間、ディレクターとして携わっている。
https://www.hub-ibaraki-art.com/

※11:HUB-IBARAKI ART PROJECTのプラン募集のこと。通年、一人もしくは一組のアーティストが選出される。

※12 京都芸術センター:明倫小学校の校舎を利用した京都市の運営するアートセンター。2000年の開館以来、多岐に渡る芸術活動の支援と発表を行っている。
https://www.kac.or.jp/

※13 graf:大阪を拠点に、家具・空間・プロダクト・グラフィックのデザインから食、アートにわたって様々にクリエイティブな活動を展開している会社。https://www.graf-d3.com/