プロフィール

塚原正也(つかはら せいや)
北海道での農業経験から人生が一変。「百姓とは百の仕事」をモットーに毎年仕事が変わるほど流され続ける人生を歩んでいる山羊研究家→都会で農家→空き地の除草→なぜか建築(多能工)。現場に住んで作業する住み込み作業員。元山羊チーズ職人、人工授精師(山羊)、山羊と山羊乳アレルギー。人生が遺言でラブレター。

インタビュアー

冬木 遼太郎 Ryotaro Fuyuki _ アーティスト https://ryotarofuyuki.tumblr.com/

山本 正大 Masahiro Yamamoto _ アートディレクター




おもしろい人たちと出会う

冬木(以下、F) 今に至るまでで思ったんですけど、塚原さんってコミュケーション能力が高いですよね。

塚原(以下、T) 北海道で全部教えてもらったんですけど、それ以前は他人と喋るのは苦手でした。話しかけてくれたら返せるタイプでしたけど、自分から話しかけるのが苦手だったんです。農業にハマってるときは自分が聞きたいから、こっちから言えるようになって。

F とにかく状況をなんとかしないとダメだったし。

T そう。それで性格がだいぶ変わってきて。奥さんがそういうことを上手にするんですよ。基本的にコミュニケーションに関しては、当時の奥さんから教わってる部分があります。だけど結局、最終的にその奥さんと離婚したときに…

山本(以下、Y) え!?

F ここまでの話では、めっちゃ上手くいってますよね。ほぼ365日一緒にいて、危機を切り抜けて、いろんな農家さんを見に回ってたところまでは円満ですよね?

T (笑)。まあ先に続きを話すと、北海道の山奥で衝撃的な暮らしをしている人達に出会うんですよ。やっぱり僕らが好きそうな場所で農業をやってる人は、変わっていて。今まで見たことないような暮らし方をしてたり、すごいパワーを持ってる人が沢山いたんです。尊敬できるような農家さんたちが、10軒以上も数珠つなぎで紹介していってくれて、泊まりで山奥をめぐってたんです。

F 例えば、ものすごくこだわった農法で野菜を育てている人とかですか?

T います。オーガニック農家でも単純に薬がイヤとか、人工的なものがダメっていうタイプもいるけど、本当にしっかりやっている人もいます。同じ有機農法でも、すごく美味しいものを作ってる農家さんとか、経営の面を上手くやってる人がいる。その中の代表格で言ったら、トラクターって普通は借金して買うものなんですけど、全て前金で買って農場を大きくしていってるっていう、オーガニック農家さんがいて。はじめに大きい機械を買うことからこんなに完璧にやってるんだ、って。しかも、それぐらいビジネスもしっかりしてるのに、お父さんとお母さんがめっちゃ変わってる人だったんです。

F トラクターって、いくらなんですか?

T 特殊な一番大きいサイズだったら、億超えるんですよ。もう規模がケタ違いなんで。アメリカとかドイツで使ってるやつを買ってるんです。本州で使われているヤンマー※1とかの小さいのとは比較にならない化け物みたいなやつで。それも、例えばジャガイモ農家だったらそれを更に連結して、もう電車みたいなってて(笑)。トラクターの後ろに引くやつが付いてて、その後ろに人が乗るスペースを付けたりしてる。

F 全然イメージがつかない(笑)。

T それぐらい広大なんです。国内では北海道でしか使わない大きさの機械を買われてたんですけど、価格が個人の手に負えるような額じゃないから、基本は借金して買うものなんですよ。例えばジャガイモ農家さんっていうのは、みんなそこそこ収益はあるけど借金もあって、永久にその借金で回っていってる場合が多いです。せっかく借りた分も返せるぐらいになった頃には、また何か新しいものを買わないといけないんですよ。返しては買う、返しては買う。メンテナンスとかもありますし。で、そのオーガニック農家さんは本当にうまく経営されてたんですけど、そこの家族が衝撃で。たまたま道すがら、水族館に寄ったんですよ。

F はい。

T コツメカワウソ※2っていう、カワウソの子供が生まれたタイミングで見に行ったんです。生まれた子供がチラッと見えたり隠れたりしてるのを見学してたら、たまたまそこに通りたかったのが、水族館の人とその友達の農家さん。その水族館の職員さんも趣味で畑を借りて農業をやってたと思うんですけど、その人たちから紹介された数珠繋ぎの先に、そのヤバい農家さんがいたんです。本当に衝撃で、そんな感じでプラッと行ったのにめちゃくちゃ面白い話をしてくれた。僕らも色々聞きたくて朝までずっと喋ってました。朝から仕事して夜は疲れてるだろうに、旅人たちを迎え入れて夜通し話してくれた。僕らに「そろそろあっちで寝てね」とか言って案内したあと、畑で作業始めてましたからね(笑)。

Y すごい(笑)。

T お若いけど、すごい夫婦なんですよ。子供が5人いて。旦那さんの話もめちゃくちゃ面白かったんですけど、特に奥さんが究極にブッ飛んでる方でした。5人の子供全員、自宅分娩で旦那さんが取り上げてるんです。それも衝撃だったし、奥さんが子供産むの好きすぎて、家に天井から出産用の綱がぶら下がってるんですよ。

F あー、いきむときに!

T そう、常にあるんですよ。常設してるっておかしくないですか(笑)。それを「そろそろ外さなあかんと思ってる」っていう話をされて、なんでですか?って聞いたら、「もうね、わたし赤ちゃんが好きすぎて、すぐ産みたいってなるから。これ以上子供増えたら困るし。自分の出産とか関係ない時期でも、よその赤ちゃん見て母乳が出るんよ」っていう話をされて。

F その奥さんは、赤ちゃんが生まれてからの、小さい頃が好きってことですか?

T 自分のこととして捉えている感覚なのかわかんないんですけど、過程が好きなんですかね?妊娠してから出産して、まだ歩くまでぐらいまでのプロセス全てが愛おしくて仕方ないらしくて。よその赤ちゃんを見てるだけで母乳が出てしまうような感じだから、さすがに色んなものを処分していってるってことらしいです。言い方はアレですけど、アル中みたいな。妊娠中毒ですよね。

F 初めて聞きました。妊娠ジャンキー。

T 5人目を産む時とかは、もう場数を踏んでるから「あ、今日来るな」って分かってたけど畑で作業をしてたらしくて。「あー、やばい」って言って、旦那さんが間に合わなかったから、自分一人で産んだって言ってましたし。

F トイレに行くみたいな(笑)。

T そうそう。だって家のドア開けて入れば綱があるから(笑)。

Y 前金でトラクターを買ったっていうのは、農家として儲けてそのお金で買われてるってことなんですか?

T そうです。オーガニック農家をやるのって尚更難しかったりするんです。その方はニワトリとかもやっていたり、多角的にいろんな作物を育てたり色々やっていて、経営バランスのいい人だったと思います。普通はもっと不器用ですよ。「俺は野菜は作るけど売り方わかんねえ」みたいな感じの人が多いんですけど、そうじゃなくて。その家のルールがかなり独特で、まず子供たち5人がめっちゃしっかりしてるんですよ。要は上の子が下の子の面倒見ているから、お母さんの役割はそっちなんですよ。だから本当のお母さんはずっと仕事できてる。

F すごい。なんというか、チームビルディングがしっかりしてる(笑)。

T うますぎるんですよ。そんなにしっかりした家族があるんだ、って。一番上のお姉ちゃんは大人と同じ目線で話せるようになってましたけど、仲良いと思いきや、その子の話ではお父さんの部屋に一回も入ったことはないらしいんです。そういう線引きはちゃんとされてる。家に漫画はないけど、お父さんの部屋にだけはあるらしいんですよ(笑)。

F (笑)。

T そのお父さんは勉強家だったから、初産の際に産婆さんを探したけどいい人に当たらなくて、「それなら俺が産婆さんするわ」って勉強されたんです。今でこそ自宅分娩も一部で流行ったりしてますけど、当時は聞いたことなかったから強烈でしたね。

F その、いきむ綱って、道具としてまだ名前はないですよね?

T なんでしょうね。ただ、昔からそうやっていきむために綱を使うっていうのはありましたし。やっぱり分娩台で上向きに出産するよりも、下向きで出産する方が楽なんですって。産科医は確認しやすいから上向きにしてるだけで。動物だったら四つん這いだから普通は逆じゃないですか。

F 変な例えですけど、足が地面についてる方がウンコしやすいというか。

T そうそう。僕らだって逆さまでウンコはできないでしょ。下向きだと体に沿って出てくるから、めっちゃラクって言われてました。その人はちょっと安産すぎるんですけど。

F そういうおもしろい農家の方々に出会って。

T すごい人が北海道の山奥にめちゃくちゃいてるんですよ。1年間かけてずっと住みながらセルフビルドで家を作ってる人とか。

F 凄い。

T 今でこそこういう仕事をしてるから別に驚かないですけど、当時はびっくりして。郵便局のおっちゃんだったんですけど、郵便局で働きながら自分の家を建ててた。

F シュヴァル※3みたいな。

T 長い期間その地域で働いてたから、家を建てたいってずっと言ってたら、納屋を壊したときとか何かの折に、みんながちょくちょく廃材をくれるんですって。で、その廃材をストックしてるところで、そのまま家をぜんぶ作っていくっていう。

F シュヴァルやん(笑)。

T そういう凄い人たちに出会いすぎて、こんな世界があるんだって思いました。その流れで───その人も農家さんだったんですけど───商売はあまり上手じゃないんですけど、天才みたいな人がいて。その方は頭が良すぎて、生まれて初めて自分より圧倒的に頭が良い人に会ったって思うぐらい、賢いおじさんがいたんです。でも貧乏農家で、経営が全然上手くいってないから鶏小屋とかもボロボロでした。一時は卵も売っていたけど、もうお金にならないみたいな感じだったんです。それで、結局その人は頭が良すぎて、パソコンを分解して直したりしているうちに、プログラミングとかもできるから、パソコンの修理やシステムエンジニアみたいなことをやるようになって。そしたら、そっちの方が稼げるようになってきて、今は半分農業だけど半分はそっちで稼いで、更に自分で勉強して、会計も全て会計士に頼まないで出来るようになった。そうしたら色んな人から依頼が来て、めちゃくちゃでかい牧場の会計をやるようになってたんです。しかも裁判とかそういう時も、全部自分で法律を調べて、弁護士を立てずに自分で勝ってしまう人なんですよ。でもその人、商売がヘタだから全然ダメで(笑)。なぜか欠点ってありますもんね。

F すごいなって感じるのはどういう時だったんですか?

T やっぱり話していて頭の良さが伝わってくるし、普通だったら何か限界にぶち当たる度に諦めたりするものですよね。

F はい。

T その人はもう、全部クリアしていく。「調べたら分かるから」みたいな感じで全て解決していく。それなのに生き方は、土にまみれてゴロゴロ這いずり回ってる感じで、そのギャップが面白くて。でも他の人から聞いたら、子供の頃も神童として新聞に載ったりするような人だったらしいんですよ。で、その人と仲良くなって、いろんな農家さんをまた紹介してもらって。




仕事の話 その3(酪農編)

T 農業で独立するのって、いきなり出来るものじゃないから、最終的に僕らはおもしろい土地に住みたいと思ってたんです。そういう場所で段々とやっていきたいと。その時に、一番行きたかったんだけど、畑をやってる農家が全滅してるエリアがあって。そこがいいなと思ってたんですけど、農業はうまくいかないから全部畜産になってた。で、その天才みたいなおっちゃんが、その町で会計をしてる牧場を紹介してくれたんです。

F はい。

T 肉牛なんて育てたら最後は殺すわけじゃないですか。僕は動物が好きだから、それがめっちゃ嫌やなって思っていて、それは牧場の方にも伝えてたんですけど「一回見学に来てみたら?」て言われて。ちょうど北海道のど真ん中のあたり、その同じ町内でも特に秘境って言われるトムラウシ※4っていうエリア。

F トムラウシ?

T はい。そのトムラウシが前からちょっといいなと思っていた地域で。畑をやっている人がほぼいなくて、農業は牧場が全部やってるようなかたちで。どうかなと思ってたんですけど、「ここで働かへんか?」って言われて見学に行ってみたんですよ。行ってみたら牛が3000頭いて───今はもっとデカいんですけど───それを5人で回してた。

F ええ。

T それができるってどういうことなんやろう?と思って。スタッフ5人で、3000頭。

F 単純計算、1人当たり600頭(笑)。

T それも衝撃だったんですけど、それ以上に綺麗な牧場でめちゃくちゃ広かったんです。インドアの競技大会をするような体育館があるじゃないですか。あれが何個も建っていて、その中に牛がいてる。で、首輪のチップで全部管理していて、電子制御されてる。制御室のようなところにパソコンみたいな機械があって、なんか思ってたのと違った。僕らがやりたい農業とは全く真逆だった。でも、おもしろそうだと思ったんです。人が良かったんですよ。オーナーが僕の人生の大恩人というか、師匠だと思ってる人で、その方がすごく良かった。そりゃあんな天才みたいな会計を雇うわ、ってわかるような凄い人だった。その人にグッと来たから、トムラウシっていう辺鄙(へんぴ)な所に行くことにしたんです。ヒグマ※5の巣窟って言われてるような(笑)。

Y (笑)。

T ヒグマって不思議で、僕めっちゃヒグマに会いたかったんですよ。ヒグマを見たかったんです。ヒグマがいるとこに行けるから、やった!みたいな感じだったんですよ。それで、出てこないかなって毎日探しながら動いてたら、ヒグマはそういうヤツの前には一切出てこないんです。怖がって見たくないと思ってる人はよく見るんです。不思議なものでこっちの気持ちを察知するんですよね。

F 当たり前ですけど、むちゃくちゃデカいですよね?

T 最初に見たのは熊牧場なんですけど、熊牧場でダラダラやってるやつですらもう、うわっ!ってなりました。怖っ!と。腕も太いんですよ。ツキノワグマは見たことあったけど、実際のヒグマはえげつないです。「あっ、これはどう足掻いても勝てません」ってわかる。鉄砲を持ってても無理だって思います。ひと振りで終わります。そういうこともあってヒグマとかは怖いんですけど、やっぱり身近な生き物を観察したりするのは楽しい。この地域に引っ越した日には、絶対ヒグマに会えると思ってたのに、全然出てこなかった。

Y その仕事に移った時も、奥様とはまだ一緒だった?

T 奥さんと一緒です。でも、なんで奥さんと離れていくかといったら、結局は真逆の人だったからで。本来は好みが違ったんですよ。でも、僕も農業に目覚めて元気になってしまった。最初は落ち込みきって、自分がやってきたことなんて、何の価値もないみたいな状態で、趣味とかを全部捨てて奥さんに合わせて生きていくって決めて行ったのに、やっぱり農業とかが楽しくなったらこだわりが出てくるんですよね。僕だったらあの品種よりもこっちの品種を選ぶなとか、そういうのが奥さんと全部違うんですよ。奥さんは王道のことをやりたい。でも僕は、どこかに隙があっておもしろい場所があるんじゃないかと思っちゃったりとか。道の分岐があったとしても、奥さんはこっちの方が安全そうだって言うんだけど、僕は違う方に何かありそうって行っちゃう。

F うん。

T でも、僕が選んで行った先にあるものは大体正解なんですよ。だから、アンテナに関してはこっちの方があるなって自覚ができてきて。本来なら奥さんに捧げたはずなのに自我が芽生えて、自分のアイディアを行動に移し始めてしまった。多分、奥さんはトムラウシには行きたくなかった。だけど、「絶対このオーナーさんはいいから」って僕が言って、やっぱり行っちゃった。

Y 引っ張るのが違う方に移り出したみたいな。

T そうです。あの人はハズレくじを引く、って奥さんのことを思うようになってしまって。社交辞令だけの町の民生委員みたいな人と喋るよりは、おもしろいおっちゃんと喋る方が絶対いいと思って、飛び込みで色んな農家さんを訪ねてるうちに、なんかちょっと変に自信が出てきてたんですよ。農家さんに教えられて、僕にもできることってあるんだと思い始めてた。それで、どんどん2人の感覚が離れていくっていう。牧場で働き始めた時はよかったんですけど、半年ぐらいしたらそれが決定的になってきて。あと、理不尽なんですけど喧嘩になると殴られるっていう。

F え?

T 奥さんが身体能力の高い人で。運動神経がめちゃくちゃよかったんです。それこそ一週間ぐらい農作業をやっていたら、これ以上分けようがないくらい作業工程が見えてきて、コツみたいなものが分かってくるじゃないですか。

F はい。

T 作業する上で、これはこっちに置いてある方がいいとか、効率がいいやり方を探すんですよ。最初は模索して色々やるんですけど、まあ固まってくる。その時に一番効率がいい方法をみんなで見つけ合って、これだねって落ち着く。それで、その同じ条件、同じ場所に道具がある状態で奥さんと作業すると、もう圧倒的に彼女の方が早いんです。勝てないんですよ。ダンボールを組み立てるだけでもめちゃくちゃ早い。僕も機械みたいにやってるのにどうしても勝てない。そういう運動神経がある人だったから、まあ全然勝てなくて。お喋りな人だったんですけど、理屈で喧嘩みたいになった時にやっぱり得意な方の手が出るっていうか。なんていうんですかね、理屈で解決しなくなるんですよ。どっかの瞬間でもう、ドーン!ってなる。女の人を殴ったりはできないから、最初は敢えて殴られてるわけですよ。で、結構痛いから抑えにかかったりするじゃないですか。

F そんなに強くですか。

T うん。でも僕はそのことをそんなに致命的な問題だと思ってなかった。別に血まみれになるほどの喧嘩はしないし。で、向こうは割とそれをしたらケロッとするんですよ。殴ってスッキリしたって、どういうことやねんと思いますけど、まあまあいいかと思ってて。でもやっぱりそうやって毎回喧嘩というか、本来なら意見を出し合って解決していかなきゃいけないものを、殴り合いで解決してきたから、実は問題が解決しないまま続いてしまうという。

F まあそうですね。

T 本当に気持ちが合わなくなっちゃったんですね。でも、僕は結婚は絶対しないと思ってたのにしたから、離婚だけは絶対避けたいってどこか変になってたんですよ。

F なんか分からなくもないです。

T だからもう、離婚なんていうのは末代までの恥ぐらいに思ってる感じだった。多分、そこらへんはウチの親父みたいな感覚だったと思うんですけど。結局最後はそれが決定的になって、僕は頭を抱えて、「ああ、、」としか言えない状態で、向こうはめっちゃ罵って怒ってるみたいな感じで会話ができなくなって。で、奥さんが出て行っちゃった。

Y はい…。

T 僕は帰ってくるかなとちょっと思っていたんですけど、帰って来なかった。で、別の人が離婚届にサインしろって持ってきたんです。いま思えばアホな話ですけど、死のうと思ったんですよ。もう人生終わった、って。割とそれまではめっちゃ楽しかったんですよね。いい人にも色々巡り合って。当時300円の家賃で住ませてもらってたし、給料も1人あたり普通に手取り25万ぐらいで、仲間にも恵まれてたんです。僕ら2人のことを思ってくれるような同僚の人たちもいたし、致命的な人はいないわけではなかったですけど、一応理想通りに進んではいたから。

F はい。

T 例えば、そこの農家さんは牧草地をめっちゃ持っていたんですよ。牛の牧場をやるには餌を飼ってたら高いし、自分のところで育てた方がある程度はいいから。だから広大な土地を持ってて、そこで牧草を刈る仕事をしてましたけど、その牧草地の一角を借りて畑もさせてもらってたんです。で、お隣さんのオッちゃんは代々そこで牧場をやってたんですけど、経営がダメになって土地とかもみんな買い取ってもらってた。家だけはそこで住んでるみたいな人だったんですけど、そのオッちゃんととウチ以外、1キロ四方で誰も住んでないエリアで湧き水をポンプであげて飲んでたんですよ。水も美味いし、造られた緑とかじゃなくて本当に手付かずの大自然が家の裏にあって、僕らより上流に誰も住んでない。何でも全部揃ってる状態で、理想の環境で畑もできてた。普通だったら雪降ろしが大変だしハウスが潰れるから、冬にハウス栽培なんかしないんですけど、頑張って冬場にやってみたりとか。色々そこでやってて、僕的には雪かきも思ってるほど嫌なことじゃなかったんです。寒がりなんで北海道って嫌だと思ってたけど、結構楽しかった。適正はあったと思います。給料もらってる上に、「将来その牧草地をあげるから、そこで畑やったらいいよ」ってオーナーも言ってくれてて。

F すごい。

T そのオーナーの人がまたね、ずっとソファーで寝てる人で。僕は自分の親より親だなって思っていて、お互いすごく共感することが多かった。オーナーが「なんか塚原くん変わってるね、僕も若い頃はキチガイみたいだったんだよ。僕と似てるわ」っていうことを言われて(笑)、「キチガイなんかよ、僕」って思うけど、共感するところがあって仲良くさせてもらってたんです。ちょっと話が逸れるんですけど、突飛な人で、趣味がライフルと飛行機。

F 操縦ってことですか?

T そうです。その牛舎、体育館クラスの大きさのやつを全部自分で作ってるんですよ。ちょっと僕が苦手な───あざとさがわかる人っているじゃないですか。お金目当てっていうか、あざとい───街の方にある近所の農家さんがいたんですけど、その人がオフシーズンにお金を稼ぎたいから牧場に来てたんです。その人が頼み込んできたから、一時期手伝ってもらってたんですよ。でも、僕はその人の黒さがめっちゃ見えたから、別に罵ったりはしないけど我慢できない気持ちが態度に出てたらしくて。さすがにオーナーもこれはと思って、その人がいる間だけ僕を隔離してくれたんですよ。

F 違う仕事をさせてくれた?

T そうそう、違う仕事。一人で黙々とできる仕事ってことで、牛舎のパーツを全部溶接で作ったりとか。

F 溶接!?

T 自分では持ち上げられないぐらい重たいH鋼※6とかにクレーンを掛けて、自分はその上に乗って運ぶみたいな感じです。それを全部切断したりとか、各寸法に切り揃えたりとか、金具を付けたりとか。

F そういう設備があったんですか?

T そんなものがあるのも変だと思ってたんですけど、もともとその人は工業高校の出身だったんです。貧乏だったけど工業高校を出て、建築の勉強をして、実際の経験もあった人なんです。それで、図面も書けるから自分のところの牛舎を作るのが趣味みたいになって、その牛舎とかを作ったりする設備がどんどん大きくなって。更に言ったら飛行機作りたいんです、自分で(笑)。だからアルミの溶接まで出来るような機材が揃ってたんです。

Y もう作る気で(笑)。

T 作る気。その時に溶接してたから、今でも鉄が扱えるんですよね。それがあったから後々のためになりました。そういうお土産まで持たせてもらって、更にそうやって人事問題があったら隔離してくれたり。でも、全てが揃ってて将来あれをやろうこれをやろうってなった時に、喧嘩して離婚してますから。

F その飛行機を作ろうと思ってる方は、

T オーナーね。牧場からちょっと離れたところに格納庫みたいなのがあって、プロペラ機を2、3機そこに持ってるんですよ。

F それは自分で作ったやつですか?

T いや、買った飛行機です。ゆくゆくは、機体も作りたいっていう夢がある人で。


Y じゃあ、今頃はちょっと作り出してるかもしれない?

T いや、僕が北海道から帰ってきて数年後に亡くなっちゃったんですよ。僕の親ぐらいの歳だったけど、ちょっと早く死んじゃったんです。かなり変わった人だけど、すごく優しかった。例えば、僕らが牛舎のウンコを掻き出して片付けたりとか、運び出したりしてるときに、ブーンって飛行機で上を飛んでたりとか(笑)。トラクターに乗ってどこか行ったと思ったら、鹿を2頭ぐらいトラクターで引き摺って帰ってきたりとか。

F 銃が趣味だから。

T そうなんですよ。初めて狩りに連れてってもらったときはびっくりしましたね。修学旅行で長野に行って以来の、スキー板を履いてついて行って。そしたら「あれ見てごらん」って言われて、見上げたら大鷲が飛んでて。めっちゃでかいんですよね。日本では北海道にしかいないデカい鷲がいるんですよ。それが飛んでて、すげえ、こんなん見れたラッキー!って思ってたら、次にすごい音がして、そっちを見たらクマゲラがいて。音がめっちゃでかいんですよ。普通、キツツキとかはカカカカカって小刻みな音なんですけど、あいつはもう、カ!カ!カ!カ!カ!みたいな、すごい勢いで大きな穴を開ける。そういうオールスターみたいなのをいっぱい見れるんです。で、すげーっ!と思って立ってたら、オーナーが「しー」って言うからパッて見たら、向こうから鹿がこっち見てるんですよ。

F 鹿って横向きで見てる感じじゃないんですか?

T 正面です。横も見えてるんですけど、注視するときはやっぱり顔を正面に向けるんですよ。でも距離が結構あるから、向こうはまだその距離だったら何も起きないと思ってるんです。

F 捕まらないなって。

T でもこっちはライフルだから。オーナーのライフルはいいやつだったから、最長で2キロ先から狙撃できる。それで目の前でパーンって音が来て、視界の先の鹿がパタッて倒れるんですよ。一発で仕留めて、それを取りに行って、お腹を開けて、内臓とかを全部出して、その中に雪を詰め込んで冷やす。それをプラスチックのソリに乗せて、よくわからないまま鹿を引きずってスキーで降りていくっていう、謎の手伝いをさせられて(笑)。

Y 中の出した内蔵も持って帰るんですか?

T 食べる人もいるんですけど、いわゆるホルモンみたいな部分は慣れてくるとそんなにいらないんですよ。肉はいっぱいあるから、そんなに食べれない。でも本当の鹿撃ちのすごい人曰く、肝臓と心臓をその場で食べるのが一番美味いらしいです。オーナーも昔は仕留めた後にやってたと思うんですけど、いまは肝臓と心臓を残して、他の消化器関係を出してしまう。その場にいらないやつは全部出して、代わりに雪で体を冷やして持って帰ってくる。

F そういうクマ撃ちの話って、『ゴールデンカムイ※7』にもありましたよね。

T 美味しいんですよ。いたむのが早いから、肝臓と心臓は持って帰る前にその場で食べちゃう。僕はそれはしなかったけど、北海道は生肉、特に鹿の生肉をめっちゃ食べるから…

F 臭いんですか?

T そうじゃなくて、リスクがあるんですよ。

F あ、細菌とか。

T そう。連中にあたると、一生治らない後遺症が残ったりする。それは豚の生食とかと同じぐらいのレベルで危ないので、食べない方がいいんですけど、なぜかみんな刺身で食べます。もう何十年と狩りをしている人の本を読んだら、肝臓も心臓もずっと生で食べてるのに、一度も何もなってないんですけど。でもそれは学者からしたら、生食は絶対良くないことになっている。ジビエの生食は絶対ダメ。鳥もそうなんですけど、きちんとした処理をしないと、本当に一生治らないやばい病気になる可能性はゼロじゃない。牛肉は比較的安全なんですけど。

F それって細菌が一回入っちゃったら、薬も効かないんですか?

T 肝炎のウイルスとかは潜伏して消えないんです。症状を抑えることはできるけど、ずっと生きてます。人間ってウイルスと共生してるんで、例えば水疱瘡(みずぼうそう)になった後、一旦免疫で抑え込まれるけど、また免疫が下がった時とかに帯状疱疹とかヘルペスがバーって出てきたりする。ああいう症状は、神経節の奥の方にウイルスがいて、体調が悪くなった時にそれが出てくるんですよね。そういうふうに共生してるし、悪さをしないけど共生してるウイルスっていうのは、結構いるんですよ。そういった類いの中でも、肝炎は肝臓がやられるから本当にヤバいんです。

F じゃあ肝臓までウイルスが来たら、完璧に取り去れない?

T そうなんです。体の中までウイルスをゼロにすることは無理になってくる。鶏肉も最近は鳥刺しとかが流行ってますけど、鹿児島とか宮崎とか、そういう生食に慣れてるエリアですら可能性はゼロじゃないんです。もし、カンピロバクター※8っていう食中毒にかかってお腹壊しても、それで済むならまだいいんですよ。でもそのうちの何割かの人が、ギランバレー症候群※9っていうヤバい病気になって、それは一生治らない場合もあるんです。

F 体が引きつるような症状のやつですよね。

T そうそう。本当に今まで健康やった人が、ギランバレー症候群になってしまって、一生の障害になってしまう。

F 気をつけないとダメですね。


T 北海道はそれまでと全く違う新たな自分の世界、パラレルワールドに行ったみたいな感じだったんです。そうそう、それでもう、離婚したんですよ。離婚したときは、本当に何もできなくなって寝込んでしまった。何も食べずにトイレに行くぐらいで、水も飲まない。このままいったら餓死とかできないかなと思って。何日かしたら、立ちくらみがひどいから立ち上がれなくなるんです。頑張ったら立てるけど、目も見えなくなってくる。だから、匍匐(ほふく)前進でトイレに行ってました。

F 視界が狭くなる感覚ですか?

T 今は全然ないんですけど、昔は血圧が低い日があって立ちくらみもよくしていて。それのひどいやつです。例えばお風呂場とかでも、急に立ち上がったら視界が上から黒くなるみたいな感覚は、子供の頃から経験してたんですけど。もう断食っていうか、餓死しようとしてるから全然なにも食べてないし、大して飲んでないのにトイレだけは行きたくなる謎の現象が起きるんです。立ち上がったら、血の気がスーッと引いて、目は見えなくて寒くなってくる。ちょっと立ったら視界が暗くなるから、下がって、また立って、みたいな感じでトイレ行って。後はずっとベッドで寝てるような状態だったんですけど。

F 何日間ぐらい?

T 1週間ぐらいしてました。水も飲まないけど、死なないんですよね。体も途中は手が震えたりとかしてたのに、だんだん震えもしなくなってくる。よく分からない状態になるんです。なんか、もうこのまま逝けるなって思ったんですよ。ずっとこのままじっとしてるだけって、めっちゃ僕に向いてる自殺の方法だなと思った。でもその時に、オーナーの娘さんのお婿さん、いま跡継ぎで牧場を継いでる人がいて。彼も昔はクズだったようなタイプの人で、年も近いし仲が良かった。で、他の人は誰も来ないけど彼が訪ねてきてくれて、ドカドカって荷物出して、フライパン1個を丸まま使ったホットケーキみたいなのを作ってくれた。『ぐりとぐら』※10みたいなやつ。

Y (笑)

F 1週間、水も取ってない時に。

T なんかそれで、ちょっと涙腺にきてしまって。ありがとうみたいな気持ちもあるし、申し訳ない気持ちもあった。で、それを食べてしまったんで死ねなかった。もうね、全然唾液出ないからダンボール食ってるみたいな…

F&Y (爆笑)

F その方も、いきなりホットケーキ選んだんですね。薄いお粥とかすまし汁なら、まだ最初として分かるんですけど(笑)。

T だからもう、無理やり水で流し込んで食べて(笑)。すみませんでしたっていう感じだったんですけど、それで生きる気になったっていったらそうでもなくて。こうやって助けられたりして死ねないなら、もっと能動的に死なないとダメだと思って。例えば大きな血管を刃物で切ってしまうとか、理屈で考えたら簡単じゃないですか。だから、いつも使ってたナタを───自分の使ってたやつは研いであったから、カミソリみたいに切れるんですけど───それで首の血管を切れば死ねるだろうと思って、いざやり始めるんですけど、本当に体が動かないんです。切ったら終わりなのに、それができない。僕の無意識が、意識を無視して体を止めるんです。それで全然首を引けなくて、情けなくなってきて。ずっと、1時間ぐらい、首をこう、キッコキッコしてて。ちょっと血が滲んだりとかはするんですけど、それ以上はいかない。皮一枚も切れない、この自動防衛システムなに?みたいな。

F 初めて聞く話です。

T だからそれも諦めて。情けない、僕は自分では死ねない、自殺もできないって思った。それで、これはやっぱり何か強い力で殺されないとダメだと思って。ビルとか電車で死ぬ人の気持ちがちょっとわかったんですよね。あれは頑張ったら落ちれそうだし、圧倒的な力で殺してくれるし。せっかくヒグマの巣窟に住んでるから、最後はヒグマと戦って死ぬしかないと思って、そのままナタを持って朝から山に入ったんですよ。ヒグマを探して歩いてた。でも、普段から僕の前にはヒグマは出てこなかったのに、さらに殺伐したようなテンションで、「おい、クマ出てこい!」みたいな感じで行ってるから、出てこない。ナタなんか何の役にも立たないから絶対に死ねるんですけど、一太刀ぐらい浴びせたいというめっちゃ迷惑なやつだから、ヒグマからしても嫌なんですよね。うなり声は聞こえたり、ガサガサと気配はあるのに絶対出てこないんです。で、そんなこんなしているうちに、変にキノコの知識があったから、ずっと探してたような貴重なキノコをいくつも見つけてしまって。ここにいた!みたいな発見があって、途中からキノコ採集みたいになってしまって。ちょうどよかったんですよ、ナタ持っていってるし(笑)。だから、キノコを集めてる時点で「え、僕いま何してる?」って思って。死にに来たのに、これを持って帰ってどんな料理にして食べようか考えてるって、生きる気満々やん…って。それまで生まれてこの方、そのタイミングまで自分はすごい悲観的だと思ってたんです。ネガティブなんじゃないの?って。でも多分ポジティブだから、こういうことが起きてるんだって。ポジティブじゃないと、「よし、クマに殺されに行くぞ」ってならないじゃないですか。だからそれで、うわーってなったんですよ、自分の殻が破けた感じで。それで自殺は踏みとどまったんです。そもそも死ぬタイプの人間じゃないって、気づけたんですよ。

F なんかちょっと僕、泣きそうです。

T 何が悔しいって、自分が死のうと思ったのは、生きる気力がなくなって死にたくなったっていうよりも、どの面下げて他の人に会うねん、みたいな社会的な体裁を考えてたんですよ。アホ!格好悪っ!と思って。格好悪いっていうか、武士が恥をかいたら切腹するみたいなその感覚って、ただの世間体やんって。お前はそういうのから一番遠いところで暮らしてたはずなのに、結局追い詰められたらそういう浅ましさが出してくるんかって思って、自分のこともすごく嫌いになった。でもだからこそ、僕はもう不謹慎な人間だって。こういう時でもキノコを獲ろうとするような人間で、今まで何もかもうまくいってなかったけど、この感覚が自分なんだってことは気づけたから、なんとかなるんちゃうかな、と思うようになった。それで、無断欠勤をずっとしてたんでなんとか責任をとらないとと思って、とりあえず頭を全部剃って、牧場の人たち全員に土下座しに行ったんです。全員ドン引きしてて、めっちゃ怖がってました(笑)。

Y めっちゃガリガリだし(笑)。

T もう儀式ですよ。土下座も本当に申し訳なくてやってるというか、結局ポーズなんですよね。切腹と一緒で儀式的なものだから、やってることはすごく空虚だなと思ってたけど、もう最後だしこんなタイミングだから土下座しようと思って。絵に描いたような全剃りの頭で土下座して、ドン引きされながら「お世話になりました」って。それで全部荷物を車に積んで。でも奥さんがすごかったのは、ずっと稼ぎを分けてくれてたんですよ、口座を。

F はい。

T だから、お金はあなたの、こっちは私のっていうかたちで、家と家財道具は置いていって。よく考えたら車も僕のお金で買ってたから、本当にうまいことできてましたね。離婚することを想定したかのような財政をやってくれてた。結局、北海道でもう少しで夢に手が届く寸前に全てを失って、おめおめと荷物をまとめて車で実家に帰るっていう最悪なパターンをしましたよ。帰ってからもそんなにすぐ元気にはならないんで、しばらくは引きこもってました。でも、それは人生を変えた大きな出来事でしたね。オーナーとの出会いもあったし、奥さんと結婚して離婚したことが全部糧になったんです。何がっていったら、奥さんと僕が正反対の人間で、僕ができないことをできた人だったから。で、僕は何もできないけど、自分一人で生きていかなきゃいけないから、どうしたらいいだろうかと考えた時に奥さんがやってたことを全部パクろうと思った。奥さんがやってたことを真似しはじめたら、できるようになってきたんですよ。だから、人と喋るようになったのも奥さんのおかげですね。

Y 北海道に残れなかったのは、そうやって迷惑かけたなっていう?

T それもあるし、同じ職場に奥さんは残ってるから。離婚はしたけど、結局奥さんがそこに残るかたちになって。

F そうなんですね。奥さんはもうどこかに行ったと思ってました。

T 出て行ったけど、同じ牧場で働いてる人の家に住んでて。僕の動きがあるまでちょっと匿ってもらっていた。追っかけて殺してやる、みたいな感じでもないのに(笑)。向こうは向こうで、自分の嫌やった気持ちとかを周りに話すから、牧場の中では完全に僕が敵みたいになってるわけですね。でも、オーナーとかその後継の人とか、一部の心を通わせてた人たちが気にかけてくれていた。最後の挨拶のときに、なぜかオーナーさんまで泣いてて。二人でお別れしました。でも、あれが本当に最後になると思ってなかった。何年後かにその方が亡くなったっていうことを聞かされて。しかも、ものすごく大きい牧場をやってたからパワーバランスがあって、亡くなって数年間は死んだことを隠蔽してたらしいんです。

F 戦国時代みたいな(笑)。

T 本当にそんな感じです。

F 俺が死んだら影武者を立てろ、と。

T 経営の規模がデカいから、結構複雑な世界でもあったみたいですね。だって、当時は3千頭だったけど今はもう2万頭規模ですよ。その当時から今までに、牛肉バブルって何回かあったんですよ。だから、めちゃくちゃ需要があって。国産牛として質のいいものを作るというよりは、───「国産牛」っていうのは、要はホルスタインって品種の乳牛がいるじゃないですか、お乳を絞るやつ。

F あの白黒の柄のやつ。

T うん。アイツってお乳を絞るから大きいんです。牛の体格の中で背が高くて手足が長くなって、より乳房が大きくなるように品種改良してあるから、和牛なんかよりも基本的にはるかに体が大きくなるんですね。あれのオスって、繁殖のための種雄(たねおす)以外はいらないから。全部去勢して、あるいは去勢しないまま競りにかけて販売する。で、安いから肉牛牧場はそれを大量に買ってきて、去勢して大きくして販売する、という感じです。で、畜産牧場の中にも元牛(もとうし)牧場とか、肥育(ひいく)牧場とかいろいろあるんですよ。肥育は最後まで育てる。食べさせて大きくして、屠殺場に持っていくところまでやるんですけど、ウチは元牛牧場だったんで、大体500キロぐらいになったら肥育の人に買ってもらって、肥育の牧場に行くんです。そこまでをやっていたから、直接的な死別とかもあんまりなかった。だから、それが精神衛生上はよかったんですけど。でもたまに、もう値段つかないなっていう牛もいて。要は規格がしっかりあって、大きすぎても小さすぎてもダメだし、肉質も良すぎても悪すぎてもダメなんです。

F 肉質の良し悪しって、その状態でどうやってわかるんですか?

T 捌いてみないとわからないっていうのは、とどのつまりあるんですけど、みんな経験してるから、このタイプはこういう肉質だっていうのは何となくとなくわかるんですよ。だから、農協の畜産家の人がお願いしてくる規格があって、そのストライクゾーンに全部合わせて投げ込んでいく、みたいなことをうまくやる牧場が儲かるシステムなんです。

F 美味しすぎてもダメなんですね。

T 変でしょ(笑)。個人で売買してる人だったら良すぎてもいいんですよ。〇〇さんの牧場のところ美味しいね、ってなるんですけど。でも農協の安定供給、安定した味覚になると、───まあ十分おいしいと思うんですけど───日本で売られている「国産牛」って書いてある表記のやつは、実はほぼホルスタインなんです。

F じゃあスーパーに行って、黒毛和牛は肉牛だから「黒毛和牛」って表記されてるけど、「国産牛」って書いてるのはホルスタイン。

T そうです。国産牛はホルスタインですなんて、絶対書かないですよね。国産牛って書いてあったら、日本にいる牛のことなんだなって話になる。でも、品種的には肉牛じゃないんです。

F 肉牛だと思ってました。

T たまに肥育の段階までいってるホルスタインが牧場に何頭かいるんです。もう、化け物ですよ。一頭が最後までいくと1トン超えるんです。動物園とかに展示したらいいんちゃうかっていうくらい(笑)。

Y (笑)

T 僕らの頃は「除角(じょかく)」っていって、ツノを焼く作業があったんですよ。根性焼きみたいに焼いて、ツノが伸びないようにするのを子牛の頃にやるんです。仕事で去勢やそういう作業をやってました。そうした方が1頭あたり出荷した後の単価が───例えば除角すれば5000円とか───上がるんで、なるべく除角するんです。拷問みたいで、牛の仕事の中で一番嫌な仕事なんですよ、牛はわーっ!てなるから。気絶するやつもいるぐらいだし、可哀想なんです。ただ1頭あたり5000円で3000頭もいたら、みたいな話になってくるから。そういうことを推奨されたらこっちも答えざるを得なくて、僕らが入った頃にやるようになったんですけど、それ以前に肥育場にいたヤツは除角されてないから、えぐいツノしてるんですよ(笑)。しかも、去勢してるのに男性ホルモンの影響がちょっと出てるやつもいるんです。ヤギもそうなんですけど、去勢していない雄牛って、前髪が伸びてきてパンチパーマみたいなクリクリの前髪が生えてたりするから、見た目がヤバすぎて(笑)。ヤンキーかヤクザの鬼みたいな感じでツノが凄いし、体重1トンあるので足を踏まれたら粉砕ですからね。そんな見た目の牛を初めて見たときはびっくりしました。

Y 見たことないですね(笑)。

T 前髪がサラサラのやつもいるんですけど、チリチリのパーマみたいなやつもいて、あれは是非見てほしいなと思います。肥育までいったけど落ちこぼれてるやつとかを動物園で引き取って飼ったら、結構重要あるんじゃないかなと思うんですけどね。昔のピンクフロイド※11のレコードジャケットにいるような、乳牛のホルスタインとは全然違う(笑)。

F 原始神母※12の(笑)。

T 雄で去勢してない和牛でそうなるやつもいるんですけど、大体は去勢します。片方だけ睾丸が残ってるのか、玉はないけど男性ホルモンが強く出てるのかわからないんですけど、たまになぜか前髪がヤンキーみたいになってるのがいるんです。僕は子牛の担当だったけど、そのお隣さんのおっちゃんが面倒見てるのが肥育の牛舎だったんで、おっちゃんより背中が高い牛に囲まれてて。それで、基本的に僕らのメインの仕事は、例えば30頭の小屋、60頭の小屋って分かれてるんですけど、その小屋に入った瞬間に様子がおかしい牛を察知しないといけないんです。風邪ひいてるなとか、お腹壊してるなっていうのを察知して、注射を打ったりとか。

F 注射も大きいんですか?

T そうです。注射も家畜用の注射なんで、ガラスと金属のシリンダーに入ってる結構物々しいやつです。それで注射したりとか。他に抗生物質の薬とかもガシャンと割っちゃったら一本2、3万するのが結構あるんです。そういうのを全部は獣医さんにさせられないから、どうするのかを見極めて従業員が代わりにやる。獣医さん経由で買ったその獣医薬品を、僕らが自分で判断して投与しないといけないんです。

F 肉牛の規格に当てはまる大きさになるのに、何年くらいかかるんですか?

T 割とあっという間です。肉になるまでって結構短いんですよ。肉牛とかだともうちょっと長いんですけど、ホルスタインだと早い。それこそニワトリのブロイラー※13とかだったら、数ヶ月で出荷ですから。そこまではいかないですけど、ものすごく早いです。だから、体は大きくなるけど心はまだまだ子供のままです。自分の部屋で面倒を見てた中で、模様が少し特徴的だから覚えやすい子がいて、そいつをちょっと溺愛してたんですよ。で、そいつが大きくなって、今度は大きいのを見る部屋に移動しないといけないから、僕の部屋から卒業していくんですね。でも、別の人が休みの日とかに代わりに見回ったりする時に、見に行くと居てて。向こうも覚えてるんですよね、こいつやん!って。仲良かったやつやん!久しぶり!みたいな感じでめっちゃ来るんですけど、300キロくらいになってるから(笑)、ヤバかったです。

Y (笑)

T 子供の頃は僕とほぼ体重一緒くらいなんですけど、向こうも300キロあるから、そいつにめっちゃ来られるとね。基本はビビりだから、そんなにアグレッシブなことはしないんですけど、まあ嬉しくなっちゃって、潰されるかと思った(笑)。それが500キロとか、更には1トンとかまでいますから。勉強になったし面白かったですよ、今でもそこ以外では見たことのない光景があったし。金玉を引っこ抜く作業も、1時間で60頭ぐらい引っこ抜いてましたからね。

F 1分で1頭(笑)。

T そのお隣さんの優しいおっちゃんが達人で。僕はとにかく牛を誘導して一頭ずつ追い込んで、首を入れたらガシャンって閉まるような仕組みのところに入れるんですよ。そしたら、おっちゃんが後ろからサッと金玉の皮を突っ切る。そこで牛は何も感じてない、自分の金玉の皮が切断されてるのに。カミソリで鋭いからっていうのもあるんですけど、「ん?」みたい感じで気付いてない。おっちゃんがその中に手を突っ込んで、金玉を1個ずつちぎる。それでも牛は「?」ぐらい。除角のときみたいに、そんなにゲーッ!とはならないんです。あれは手際が美しかったですね。

F その後も、別にそんな気にしてる感じもなく?

T まあ多少はちょっと気にしてるかな、っていうのはあります。あと状況が悪いと、カラスがつつきに来たりとかすることもあります。まあ60頭やったら、金玉がバケツいっぱいぐらいになるんで。

F どのくらいの大きさなんですか?

T 子牛なんで、うずら卵よりもうちょっと大きいくらいです。子牛のときにしてしまわないと、やっぱり牛がどんどんオス化していくんです、気性も荒くなるし。最初は見てると寒気しましたけどね、人間と一緒の形をしてるんで(笑)。そういう牧場じゃなかったら僕もやりたくなかったけど、まあいい経験させてもらいました。

F それで、車でこっちに戻ってきて。

T 神戸では必要のないサーフか何かの四駆に乗って帰ってきたんですけど、しばらくは意気消沈してました。生きるってのは決めたけど、どうやって生きていくかわからないって思ってた。引きこもって現実逃避をしようとかしてたんですけど、やっぱり頭にボーッと浮かぶのが牧場で畜産に触れたことで。家畜って面白いなって思いました。あと、土下座して謝ってから実際に出ていくまでのあいだに数日あったからヤギが気になって、北海道の段階でヤギの牧場があるところに見学に行き始めてたんです。ヤギを見に行ったら、その時にミルクとかヤギ自体に感動した。その前からちょっと思ってたのは、牛はデカいっていう(笑)。まだ奥さんと別れていない頃に、畑をしていくときに家畜も混ぜてやったら、堆肥とか草刈りとかも、その家畜に任せてやれるっていうのは考えていたんです。

F 要は循環させるのに家畜がいた方がよい?

T そうです。で、サイズ的に手頃なのはヤギかロバだなと思ったんです。馬は乗れたら楽しそうだけどデカすぎるし、ちょっとかっこよすぎるなと思って。だから在来馬※14か、ロバか、ヤギかなと。それでヤギを北海道から帰る前に見に行って、ミルクを飲んでみたら───僕、牛乳嫌いなんですけど───わりと飲めたんですよ。

F 味は牛乳と違うんですか?

T ミルクにもよりますけど、やっぱり少し青臭い。牛乳にはない香りがあったりするんですけど、特に昔の人とかはそういうコントロールされてないヤギのミルクを飲んでたんです。ヤギのミルクは臭かったって、おばちゃんとかから聞かされることはありますね。その臭いは、育て方とか製造の仕方でだいぶ抑えられるのでクリアできるんですけど。脂肪の粒が全部小さいんで、牛よりもサラッとしてるんですよ。牛乳っていうのはホモジナイズド※15といって、タンパク質とか脂肪の粒を粉々に砕く機械に入れるんですよ。そういう機械を通した後が一般的な牛乳なんですけど、ヤギはそれをしなくてもいいぐらいに割と人間の母乳にも近い。

F 確かにノンホモジナイズドの牛乳って、ちょっと口当たりがとトロンとしてますもんね。クリームみたいな層が上にあったり。

T だからそういう成分で見ても、比較的人間に親和性の高いミルクです。人間の母乳自体にもっとも近い成分を持ってるっていうのは───僕は知らないんですけどおじいちゃん達の世代とか、戦争を経験してる人の話では、食べ物が全然なくてめちゃくちゃ貧しい時に子供が生まれちゃったりして、赤ちゃんに飲ます乳がない時に、代わりにヤギのミルクをあげたっていう話があって。「私はヤギのミルクで育ったんよ」とかって言われたりします。だから、日本って60年代ぐらいまではめちゃくちゃヤギがいたんですよ。戦中や戦後は日本人の命を救ってたんです。

(2023年5月7日)






※1 ヤンマー:日本の発動機(エンジン。汎用、産業用を含む)ならびに農機、建機、小型船舶の製造・販売を行う大手企業グループ、およびそのブランド。(英称:YANMAR)

※2 コツメカワウソ:哺乳綱食肉目イタチ科ツメナシカワウソ属に分類されるカワウソの一種。東南アジア、中国大陸南部、南アジアに棲息。
https://ja.wikipedia.org/wiki/コツメカワウソ

※3 シュヴァル:フェルディナン・シュヴァル。(Joseph Ferdinand Cheval, 1836年4月19日 – 1924年8月19日)フランスの郵便配達人。33年をかけて巨大な城塞を自力で建設した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フェルディナン・シュヴァル

※4 トムラウシ:北海道中央部、上川管内美瑛町と十勝管内新得町の境の地名。

※5 ヒグマ:クマ科に属する哺乳類。ホッキョクグマと並びクマ科では最大級の大きさ。

※6 H鋼(H形鋼):型鋼の一種。柱や梁、小梁や間柱などに用いられる。断面性能が高く低価格であることから、建築物だけでなく船舶や橋梁・高速道路の基礎杭などに幅広く使用されている。

※7 『ゴールデンカムイ』:野田サトルによる漫画。『週刊ヤングジャンプ』にて2014年38号から2022年22・23合併号まで連載された。明治末期の北海道が舞台。

※8 カンピロバクター:細菌の総称。一般的にはカンピロバクター症(食中毒)の原因菌として呼ばれることが多い。
https://ja.wikipedia.org/wiki/カンピロバクター

※9 ギランバレー症候群:末梢神経(脳と脊髄(せきずい)以外の神経)が障害されることによって体の脱力(力が入らない)、しびれ、痛みなどが現れる病気。

※10 『ぐりとぐら』:中川李枝子・山脇百合子による子供向け絵本のシリーズ。双子の野ねずみ、「ぐり」と「ぐら」を主人公とする物語。

※11 ピンクフロイド:イングランド出身のロックバンド。プログレッシブ・ロックの先駆者としても知られ、同ジャンルにおける五大バンドの一つとされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ピンク・フロイド

※12 『原始神母』:1970年に発表されたピンク・フロイドのスタジオ・アルバム。
https://ja.wikipedia.org/wiki/原子心母

※13 ブロイラー:肉鶏の一品種。食肉専用・大量飼育用の雑種鶏の総称。

※14 在来馬(ざいらいば):古くから日本のそれぞれの土地で飼養されてきた日本固有の馬。

※15 ホモジナイズド:牛乳に圧力をかけ、生乳に含まれる脂肪球を砕いて小さく均質化する工程。