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明日からマニラへ行く。コロナの影響で、当初の予定から丸2年越しの計画実現になるが、結果的にはこの期間があって良かったと思っている。コロナが始まった2020年の夏頃から今に至るまで、もちろん個展を含めて展示に参加する機会はあったが、一番意識をしていたのは理念あつめと理論の構築だった。この動きにくい状況でいま何をすべきか考えた上で、それが自分には必要だったと思うし、適切な時間の使い方だと思う。
理念集めは、美術の歴史や、カントの真・善・美に関わるような他の概念との関係、哲学的側面、現在の社会における美術の位置、そういった様々なことについてのインプットと勉強。理論の構築は、その入力から、これまでの自身の作品観、実作や展示等の経験から得たものを併せた上で、自分がどうしたいかを考えていく作業(どうポジショニングするかではなく)。この2つを徹底してやった。
何歳までに美術館の展示に参加しないといけないとか、国際展に出るにはその前にこの展示に出ておくことがマストだとか、いわゆる業界ルール的なことは存在していて、実際35歳になるとアプライできる助成金やレジデンスプログラムはかなり少なくなる。そういうのは保守的な業界の悪癖でしかないし、活動に関係するひとつの側面でしかない。ただ、自分の中で作品や考えの蓄積は確実にあって、32歳の時に作ったオレンジを潰す作品ができた瞬間が、自分では転機だと思っている。そういう意味では、年齢は無関係ではないと思う。それまでは、何かが足りない感覚や座りの悪さを感じていたが、あの作品はそれまでの経験や考えていたことがカチッと噛み合った感覚があり、そこから自分の制作や考えていることが地に足を着き始めた気がしている。なので、自分としてはコロナの期間も含めて、まだアーティストを初めて5年くらいしか経ってないという感覚がある。また、そのカチッとハマる瞬間が、40歳で訪れる人も50歳で訪れる人もいるのだろうと思う。
オレンジの作品を作った次の年に、ニューヨークに行けたのも大きかった。あの7ヶ月の経験で、外から日本人としての自分を見ることや、美術の歴史を直に感じることができた。60年代以降のモダニズムをいかにアメリカが牽引し、理論と実際の作品双方でそれを唯一の正解として、乗り越えの歴史を重ねてきたかを実感できた。そういうヘーゲル的な大文字の歴史があった上で、自分が作品を作り、提出することを身を以て考えるようになった。
2019年の東大阪市民美術センターの展示とそれからの作品制作、今回のフィリピンのリサーチは、その経験につながっている。フィリピンという国と日本の関係は複雑だ。フィリピンは日本と同様、アメリカの統治下にあった歴史を持ち、かつ日本からも侵略を受けた歴史を持っている。それはアメリカの植民地政策による影響を双方が受けながらも、日本の蛮行が事態を複雑にしている。が、戦後は日本と同様に米軍基地が多数存在していたにも関わらず、市民の力によって90年頃にフィリピンでは全ての基地は撤廃されている。日本人と違ってフィリピンの人たちは革命の経験、人が政治や状況を動かすことを知っている。そこに、いま自分が学ばなければならないことがある気がしている。
今回の調査の大きな目的の1つである、刑務作業で作られているボトルシップ 。マニラ南部にあるニュービリビッド刑務所は、そのような刑務作業が行われる一方、日本のA・B級戦犯が収容され、その一部が処刑された場所でもある。
とりあえず、行ってみようと思う。