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午前中に溜まっていたメールの返信を済ませて、午後からアヤラミュージアムに行く。訪れるまでここが国立の美術/博物館なのだと思っていたが、どうやら違うらしい。著名な画家によってフィリピン史と図像学の博物館が構想されて、その後にアヤラ財団という財団によってそれが実現・開館したとのこと。スペインによってキリスト教が入ってくる16世紀あたりからを重点的に、絵画や美術作品だけでなく、生活工芸品、イコンや聖像など様々なものが展示されている。その中でも面白かったのが、西洋絵画に影響を受けたであろう19世紀後半あたりの油彩で、画風や描き方は西洋画を踏襲しながら、モチーフがアジア的なものだったりする。卓上静物画の果物がリンゴやブドウではなく、パッションフルーツやバナナやパイナップルだったりする。あるいは西洋画で描かれている田園風景が水田だったり、よく見られるような人物画で、タッチや表現は西洋のそれなのだが、描かれているのはおそらくフィリピンの高貴な人だったりする。ようは“複合された”感じがすごくわかりやすく出ている。日本も洋画の影響も受けたが、それとはまた違った変遷の過程を見ることができた。(カタログが欲しいと思い、あとでミュージアムショップの人に聞いたが、長く改装していてようやく去年の11月に再オープンしたらしく、そういう油彩画の所蔵カタログはまだ作ってないらしい。残念。)他には、ジオラマで先史時代から現代に至るまでの流れを紹介しているエリアがあったり、1つの契機としての太平洋戦争のコーナーが設けられていた。日本では絶対に見ることのない加害者としての日本の行動や、その結果どのような惨事が起こったかを克明にビジュアル化し展示されているものを見ると、心から申し訳ない気持ちになる。普段は希薄なナショナリズムを実感するのは、いつもこのように外にいる時だと感じる。
このアヤラミュージアムがあるエリアは、いくつも大きなモールやヴィトンなどのブランド店があるところで、マニラで最も経済的に裕福な場所で、歩いている人の身なりからもそれがわかる。ただ、マニラに来て4日、周りの目線から、ここでは自分は異質であることをゆっくりと受け取っている感覚がある。何年もここに住めば馴染むのかもしれないが、それでも拭いきれない部分は残る。それは当然のことなんだけど、どの道を歩いても自分が目についていることはわかるし、今日みたいな比較的生活が裕福なエリアでも、ああ、見られているなと折に触れて感じているからかもしれない。うまく形容できないのだが、見た目はどうしようもないなと改めて実感している。

帰りもまたJOYRIDEのアプリを使い、バイクの後ろにまたがって帰る。飛ばす運転手だと、60キロ手前までスピードを出すので、恐怖を感じる瞬間は多々ある。しかも運転手は長袖や専用のウェアを着ているが、こっちはTシャツなのでもし転倒したら終わりである。あと、車間がギチギチに狭いのもかなり怖い。もちろん僕は安全第一で、走行中はお尻の下あたりの車体をしっかりと両手で握っているが、その横で体重80キロはありそうなおばちゃんが普通にスマホいじりながら、同じように後ろに乗っている。こちらにいると、いちいちサバイバル能力を鍛えられている感覚がある。

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