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今日は朝5時に起床し、マニラ市外の南に位置する、ニュービリビッド刑務所へ行く。この滞在調査の目的の発端となったボトルシップについての調査である。マークさんが事前にアポイトメントを試みてくれていたが、全く返事がなく、結局取り敢えず行ってみようということになった。6時にケソンシティの大きなモールで待ち合わせ、そこから電車に乗る。いくつか路線があるが、そのうちの1つはまだスペイン統治時代につくられた線路らしい。「オールドマニラ」と呼ばれる、マニラの中でも古くからある地域に行き、そこから出発するのだが、線路のすぐ脇で、トタンや木の板で1、2畳ほどのスペースを作り、そこで暮らしているであろう人たちを車窓からたくさん見た。裸で体を洗うおばさん、電車が通る2m横で寝ている子供、バスケットボールをする少年たちなど、老若男女たくさんの人たちを見た。
電車とジプニー、トライシクルという三輪タクシーを乗り継ぎ、ようやく刑務所のあるエリアの入り口にたどり着く。入り口は銃を持ったセキュリティがいたりと少し物々しいが、自然公園のような雰囲気。少し歩くと早速刑務作業で作ったものを売っているところを見つけた。
僕を見つけるなり、一人の年配の女性が「日本人ですか?」と声をかけてきた。Bernerditaさんという名前のこの方は、15年ほど前に東芝などのフィリピンにある日本企業で日本人を相手に英語の教師をしていたらしい。僕の質問に親身になって答えてくれる。話の流れで、山下奉文などのA休戦犯が祀られている場所の話になった。この刑務所の敷地内にそれがることは事前の調べで知っていた。現在は、この刑務所宛に依頼書を書き、承認されれば見ることができるらしい。ところが、このBernerditaさんが直に掛け合ってくれて、見に行けることになった。「日本の人たちは本当によくしてくれたから」と言い、率先して許可を取るために各所に話してくれた。そして、呼びつけた息子さんを運転手がわりにして、刑務所の敷地のさらに奥へと入れることになった。射撃の練習場や護送車などが停まっている場所があるところを抜けていくと、服役中の人たちが作業をしていたり、歩いているところにも出くわす。犯罪の度合いによってグレードが分かれているらしく、軽犯罪の人たちは比較的自由があるようだ。
(看守の人やライフルを持ってるセキュリティーが近くにいるとは言っても、ナタを持ちながらこちらを見られると流石に怖かった。)
戦犯の慰霊墓地は最深部にあった。鍵を開けてもらい、奥へと入る。最近では誰も訪れていないであろうことが倒木や葉の覆われ具合からわかった。休憩所や、この慰霊墓地用の井戸もあったが、かなり朽ちていた。Bernerditaさんに書かれている碑文の意味を聞かれたり、逆に同行してくれた別の看守さんが一通り説明をしてくれたりしたが、そのあいだ中、看守さんが引き連れてきた囚人が6、7人いて、あんまり長居したくなかった。貴重な体験だったが、個人的にはA級戦犯の慰霊碑より、比較的ゆるいエリアであっても刑務所の中に入れたことの方が、体験として大きかった。

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